今年の日本プロゴルファー決定戦・最終日。勝負の行方は、18番グリーンの最後の一打まで誰にも読めない、大混戦となった。
大会前、桑原克典コースセッティング委員はこう語っていた。
「テーマは“リスクと報酬”。守って得をすることも、攻めて得をすることも許さない。でも、恐怖ではなく自分への期待を持ってプレーできた選手には上位に来てほしい」。
その言葉どおり、最終ラウンドは冒頭からドラマの連続だった。
主役は最終組の細野勇策、勝俣陵、そして宋永漢。
1番パー5から、いきなり“リスクと報酬”を象徴する展開が繰り広げられる。
宋はグリーン奥からのアプローチを直接沈め、圧巻のチップイン・イーグル。続く細野も、グリーン手前右からカップに叩き込み、イーグルで応戦。
勝俣はバーディを奪うも、そのインパクトさえかすむ序盤からの攻防ゲームがスタートした。
細野は勢いに乗るかに見えたが、その直後にボギー、ボギーとスコアを落とし、流れが切れかけたが、ここで踏みとどまる。
4番から怒涛の3連続バーディと"攻め続ける強さ"で再び優勝争いの中心に立った。
しかし8番パー3では、ティーショットが右の崖へ。痛恨のボギー。それでも前半は34でまとめ、優勝争いは運命のバックナインへと突入する。
「余裕はなかった。1ホール1ホールに集中していた」細野はそう振り返る。
パーで粘り続ける中、最大の試練が訪れたのは15番だった。
ティーショットは大きく左へ曲がり、林の中。脱出には、ラフから難しいドローをかけなければならない――まさに一か八かの状況。
「外すならフェアウェイ左」。覚悟を決めて放った一打は、完璧な弧を描き、理想のフェアウェイへと戻った。
このピンチをパーで切り抜け、細野はショット前に何度も水を口に含み、心を落ち着け続けた。
そして大勢のギャラリーに迎えられた最終18番パー5。追う勝俣がイーグルを奪えば、プレーオフの可能性が残る場面だった。
ティーショットはフェアウェイへ運び、セカンド勝負にかかっていた。勝俣が打った渾身のセカンドショットは大きく曲がり、2オンは失敗。勝負は大きく傾く。
一方の細野は冷静だった。無理をせず、3オン2パットという確実なルートを選択する。
そしてカップに沈めたウィニングパット。PGA会員4年目にして、ついに掴んだツアー初優勝だった。今回だけはどれだけ追い込まれても、流れを手繰り寄せる「強さ」が勝者・細野にはあった。
これまで最終日最終組を9度経験。昨年の日本プロでも惜敗。さらに中日クラウンズでは、首位と1打差でスタートするも逆転負け。その悔しさが今回の勝利を支えていた。
「少し崩れても、絶対に諦めない。気持ちを切らさないこと。それは中日クラウンズで学んだことです」と、精神面は確実に進化していた。
さらに「どの試合でも“レフティ頑張れ”と声をかけてもらえた。左打ちとして戦えることが、本当に心強かった」と、ファンの声援も、彼を支え続けていた。
「すべての試合を本気で戦ってきました。その中で、メジャーで勝てたのは本当に嬉しい。名前が残る大会ですし、これからも注目してもらえると思います」
93回の歴史で”日本プロチャンピオン”として刻まれたのは、日本人レフティ・細野勇策の名だった。
初優勝の裏側には、もうひとつの物語があった。
舞台は本選前の火曜日に行われたプロアマ戦。細野はシニアツアーのレジェンドであり、日本プロ3冠を誇る谷口徹と同組でプレーすることになった。
実はこのペアリング、谷口本人の希望によって実現したものだった。
細野は「谷口さんとは一昨年のダンロップフェニックスから気にかけてもらうようになって」と言い、今ではLINEでやり取りを交わす間柄だという。
そのプロアマのラウンド中、谷口は遠慮なく細野のプレーを見抜いた。
「お前、やっぱダメやな。勝てない原因が分かったわ」と鋭くも温かい言葉だった。
今週を通して不安定だったアイアンショットに対しても、ハーフショットでグリーンを外した場面では、「それはあかん」と一刀両断。
しかし同時に原因と対策もアドバイスしてくれたという。
細野はその助言を素直に受け止め「“頑張れ”という気持ちが伝わってきて嬉しかったです。毎週、成績を見てLINEもくださって…」。
実際に谷口からは、大会期間中もLINEメッセージが届いていた。
「予選ラウンドの2日間で上手くなったな、とか。3日目も風の中よくやった、って」。その言葉のひとつひとつが、細野の背中を押していた。「この優勝を、早く報告したいです」そう語る細野の表情は、少年のように輝いていた。
「谷口さんは、ジュニアの頃からのスターでもあるので」。大ベテランの鋭い助言も、初優勝を呼び込んだ大きな要素のひとつになった。
そして表彰式では、大役を任された表彰スピーチも、間合いを取るなど、感極まったような貫禄ある雰囲気を漂わせていたが「何もなくて。ある程度考えていこうかなと思ったんですけど、話がまとまらかったです。場慣れって大事なんだなと思いました」と笑って振り返った。
次の2勝目を飾るときには、スピーチも格段にうまくなっているはずだ。
今回の優勝で、細野は2つの「初」を刻んだ。
日本プロ史上、日本人レフティとして初の優勝。そして、山口県出身選手としても初の快挙である。
「これからも“左を背負って”戦っていきたい。日本人のレフティは多くないので、同じ左の選手たちに応援してもらえる存在になりたい」。
その言葉には、誇りと責任をにじませた。