昨年末に享年78歳で永眠された「ジャンボ」こと尾崎将司氏のお別れ会が、東京・帝国ホテルにて3月16日に執り行われた。会は午前と午後の二部制で、一部では招待されたプロや関係者約1000名が参列。午後の二部では一般献花の機会が設けられ、こちらも約1000名が会場を訪れ、個人を偲ぶ気持ちを献花に込めた。
お別れの会の式典には発起人として青木功、PGA明神会長、JGTO諸星会長、JGT選手会会長の阿久津未来也が名を並べ、代表として青木が弔辞を読み上げた。
発起人代表・青木功弔辞(一部抜粋)
「ジャンボ…。昨年末、突然逝ってしまったという知らせを受け、自分は言葉が無かった。大切な戦友を失い、深い悲しみと大きな喪失感でいっぱいになった。弔問に行った時に、智春くんから聞いた数々のコメントを聞き、お前さんらしく最後まで『ジャンボ尾崎』を貫いた」
「ジャンボの存在は自分のゴルフ人生をさまざまな形で進化させてくれた。たくさん思い出がありすぎて語り切れないけれど、本当にもう一度会いたかった。現役の時は二人とも、強い野心と闘争心の塊で、互いの立場のあり機会が無かったけど、ゆっくり一杯やりたかったなぁ。」
「お前さんが何と言おうと、自分の生涯のライバルはジャンボで、お前がいたから今の自分がある。絶対わすれないから。どうぞ安らかに眠ってください。今日は智春が頑張ってるぞ。さようなら」
尾崎氏のキャディを長きに渡って務めた佐野木計至氏は、尾崎氏と同郷・徳島の宍喰出身で産婆さんから保育所、そして小中高が一緒だったという。「先輩は昭和のがんこもん!いや、昭和の侍でした。本当にかっこよかった」と言い表した。
39歳、ジャンボがスランプのドン底だった時、佐野木氏は別府温泉へ突然呼ばれ「もう一度俺はやる。絶対にカムバックするから、お前も大きな試合は必ず担いでくれ」とジャンボに真剣なまなざしで言われ、その後40歳から64勝を挙げるという偉業を達成した。
「ジャン兄、最後まで媚びることない、男の戦う姿をみせてくれました。不屈の勝負師でしたね。YOU ARE THE MANでした」と弔辞を締めくくった。
海外からはジャック・ニクラウス、トム・ワトソンとレジェンドプロが、そして世界ゴルフ殿堂マイク・トロステル氏がビデオメッセージを寄せている。
ニクラウス
「ジャンボは素晴らしい友人であり、素晴らしい選手であり、そしてあなたの国を代表する選手でした。彼は日本を愛し、日本でプレーすることを愛していました。そしてファンを愛していました。安らかに眠れますように」
ワトソン
「私は今、ハワイ諸島にいます。私はここでジャンボと初めて出会い、1973年にワイアラエ・カントリークラブでのエキシビジョンマッチで対戦しました。その時、ジャンボがどれほど熾烈なライバルであったかを思い出します。ご冥福をお祈りします」
喪主を務めた尾崎の長男・智春氏は「僕が子供の時にゴルフを志したときから、父親でもありますが、父親ではなく師匠という感じでずっと接してきました。なんとか親父の遺志を受け継いで、今後の若い世代に、アカデミーを通じていろんなことを教えていきたいと思っています」と親子の絆を改めて見つめた。
そして「親父は最後に自分の人生は好きなことやって、わがままたくさん言って、それを聞いてもらって。好きなものを食べてっていう本当にわがままし放題な自分の人生、こんな素晴らしい人生に何の悔いはないと、他界しました。最後人生を全うした、やり遂げたような顔をしていました」と口元をきゅっと結んでいた。
尾崎家は三兄弟のプロゴルファーとして活躍をしているが次男・健夫、三男・直道はシニアツアーを盛り上げている人気のスター選手でもある。献花後には兄への想いを語ってくれた。
健夫(ジェット・写真左)
「何とか兄は旅立ちました。あまり兄弟では話しないんだけど、亡くなる一週間ほど前はよくしゃべったね。あんなにおしゃべりだったのかと思うくらい。お墓のことも、全部自分で準備しておいて、びっくりしたよ。自分で勝手にね」
「兄は正しい司っていうのが本当の名前。ゴルフをするときだけ将司だって。最後は子供の時の”正司”に帰ったってね。お墓も故郷の宍喰に。やっぱり侍のような、軍隊のようなきつい父でしたが、やっぱり親父のもとに帰ったのかな。そんな魂を感じました」
直道(ジョー)
「自分の思うまま、欲するままで、戦い続けた人生だったと思います。最後の顔は、静かな感じでお釈迦様のようでした。生きながら仏になったなってね」
尾崎家の柱であった兄。弟たちは兄の旅立ちを見送ることになってしまったが、シニアツアーでも活躍するジャンボ軍団や、ジャンボアカデミー生と共に、これからも”ジャンボ”の遺志を継ぎ、悠々とゴルフ道を歩む姿をみせてもらいたい。
最後にジャンボの偉大なプロフィールを振り返ってみる。
徳島海南高時代に高校野球春の選抜大会でエースとして優勝し、その後はプロ野球西鉄に入団したが4年で退団。その後はゴルフの道選び、1970年にプロ入り。1971年「日本プロ」で初優勝。前人未倒112勝(1973年以降のツアー94勝)を上げている尾崎は、賞金王タイトルを12回獲得。2002年「全日空オープン」では55歳7カ月29日でツアー制施行以来の最年長優勝記録を樹立。66歳で出場した2013年「つるやオープン」初日に63をマークし、史上初のレギュラーツアーでのエージシュートを達成し、未だ記録は破られることがない。
近年はジュニアを集めて「ジャンボゴルフアカデミー」を主宰し、女子ツアーで活躍する佐久間朱莉や笹生優花、西郷真央らを指導するなど若手指導に力を入れていた。ところが昨年12月23日にS状結腸がんを患い、78歳でこの世を去ってしまった。
当時のスーパースター尾崎をライバルとして戦い、そして尾崎に憧れた大勢のプロゴルファーが来場。野球界のレジェンドや著名人も多くお別れの会に参列し、故人の偉大な功績や人柄を偲ぶ、静かで温かい一日になった。