「ジャンボ」のニックネームでゴルフブームを巻き起こし、前人未倒の100勝の大台を突破して113勝(1973年以降のツアー94勝、海外1勝)の勝利数を打ち立てた尾崎将司(おざき・まさし)氏がS状結腸がんの為、12月23日に78歳でご逝去されました。慎んでお悔やみを申し上げます。
永久シード選手としてレギュラーツアーへのこだわりを見せてきた。近年は「名伯楽」として若手指導に力を入れており、ジュニアを集めたジャンボゴルフアカデミーの主宰や、女子ツアーで活躍する原英莉花、笹生優花、西郷真央らを指導するなど門下生が増えている。輝かしい成績は周知のとおり。徳島海南高時代に高校野球春の選抜大会でエースとして優勝し、その後はプロ野球西鉄に入団したが、力を出せずに4年で退団。ゴルフに転向し、1970年にプロ入り。豪快な飛距離で1971年「日本プロ」で初優勝。「ジャンボ」のニックネームでゴルフブームを巻き起こした。
前人未倒の100勝の大台を突破して112勝(1973年以降のツアー94勝)と海外では1972年「ニュージーランドPGA」を制し、積み上げた勝ち星は113勝にも上る。特筆すべきは賞金王12回で、うち9回は40歳を過ぎてから達成している。「若手の壁」として丸山茂樹らの挑戦をはねのけ、ゴルフ界の活性化に力を尽くしてきた。2002年「全日空オープン」では55歳7カ月29日でツアー制施行以来の最年長優勝記録を樹立。66歳で出場した2013年「つるやオープン」初日に63をマークし、史上初のレギュラーツアーでのエージシュートを達成した。2010年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしている。
尾崎将司プロを悼む談話(PGA会長 明神 正嗣)
突然の訃報に際し、驚きと大きな喪失感に苛まれております。1980年、90年代のゴルフブームを牽引されてきた尾崎プロのご逝去は、ゴルフ界だけでなくプロスポーツ界にとって埋めきれないほどの大きな喪失です。尾崎さんと同じ四国出身の私としては、試合ではご一緒させて頂く機会はありませんでしたが、尾崎さんのご逝去は非常に悲しく残念でしかありません。どうぞ安らかにお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
●プロフィール 尾崎 将司(おざき まさし)
生年月日:1947年(昭和22年)1月24日(享年78歳)
入会日:1970年(昭和45年)4月1日
出身地:徳島
主な戦歴:レギュラー94勝(1973年以降)、賞金王(1973、1974、1977、1988、1989、1990、1992、1994、1995、1996、1997、1998)
(1993年 日本プロゴルフ選手権)