国内シニアツアーの今季最終戦「いぶすき白露シニア」は、手嶋多一(57歳)がプレーオフでタマヌーン・スリロット(56歳・タイ)を退け、2021年の「日本シニアオープン」以来となる、4年ぶり3勝目を挙げた。レギュラーツアー時代から日本一練習しないプロといわれる男が、なぜ勝てたのか。
手嶋は2019年のシーズン開幕戦「金秀シニア 沖縄オープン」でシニアデビューすると、いきなり優勝した。その頃はレギュラーツアーと掛け持ちしていたため、それを含めてシニアには3試合にしか出場しなかった。そして21年には「日本シニアオープン」を制して2勝目。何勝もしていくかに思われたが、そこから優勝のない年が3年も続くことになる。
「日本シニアオープンに勝って、シニアも行ける、稼ぐぞと思っていたけど、やっぱりそんなに甘くない。最近はトップに立っても勝てる気がしないし、悪いイメージしか湧かない」と、いつもは明るい手嶋が実は悩んでいた。宮本勝昌も片山晋呉も、レギュラーツアーに軸足を置いていた年にはシニアで勝てていない。手嶋も勝利が途絶えてから、それを感じるようになった。
「レギュラーに出ていて、パッとシニアに来た方がやさしくやれると思ったんですけど、実際はそうじゃない。しっかりシニアに足をつけないと勝てない」。
50代も半ばになって気付いた。宮本はレギュラーツアーでバリバリやっていた22年のシニア元年は5試合出場して優勝なし。翌23年は全13試合中11試合に出場して3勝を挙げ、賞金王に輝いた。それから毎年勝利を積み重ねて、今年は節目の10勝に到達した。
今大会で手嶋は2日目に大会レコードを1打更新する「64」をマークするなど、ショット、パットともに安定していた。最終日の最終18番では入れば優勝となる1メートルのバーディパットを外したものの、トータル12アンダーで並んだスリロットをプレーオフ1ホール目で下して、久しぶりに勝利の美酒に酔った。
手嶋といえば、レギュラー時代から日本一練習しないプロと呼ばれている。トーナメント会場のレンジでは、ほとんど球を打たないため、コースの中以外で手嶋を見つけるのは難しい。その代わり、ホテルの部屋に6番アイアンとパターを持って帰る。「打たない。構えるだけ」というのが手嶋独自の練習法なのだ。
「鏡の前でアドレスとボール位置、手元の位置を毎日チェックしています。テレビCMの合間とかね(笑)」。アドレスがズレているのに、いくら球を打っても「下手を固めるだけ」というわけだ。そのわずかなズレがボールの着弾地点では「何十ヤード」の大きな幅に変わる。だからまずはアドレス。「スイングがどうこうではない」。
今週も含めて最近では試合の朝もレンジには行かない。パッティンググリーンだけ。その調整法もかなり独特で、フックラインしか練習しない。「持ち球のドローで返ってくるイメージで打ちたい。スタート前のパターは自分のショットをイメージしながら打っています。特にここの1番は右がOBだから、スタート前にフック回転のパターをするわけです」。それで朝イチショットは「3日間ともフェアウェイに行きました」と胸を張る。そもそも、そのルーティンで何勝もしているのだから否定はできない。
レギュラー時代はオフシーズンも5、6ラウンドしかせずに開幕を迎えていた。他のプロでは考えられないことだ。「プロ野球選手がオフに野球しないでしょ?」と言われて、何だか納得しそうになった記憶がある。
また、試合がないときは、たまに街の練習場に行くこともある。「マットとか決められた方向だけでスイングを作っても意味がない。右に打ったり、左に打ったり、フックを打ったり、スライスを打ったり。とにかくマット通りに打たないようにしています。球って丸いんだから真っすぐ行かないんです(笑)。どっちかに曲げた方が楽。僕はいかに練習せずに上手くなるっていうのを追求しているから」とまで言われると、冗談なのか本気なのか分からなくなる。おそらく手嶋は本気だ。
手嶋は経歴も変わっている。大学は東テネシー大学に進み、フィル・ミケルソン(米国)らと同じフィールドで戦った。日本でプロになったが海外進出の夢を持ち続け、06年にはヨーロピアンツアー(現在のDPワールドツアー)の予選会を突破し、翌07年に欧州を転戦したこともある。シードにはあと一歩届かず「悔しい思い」が残っている。だから57歳となった今でも「全英シニアオープンには行きたい」と世界への思いは持ち続けている。
好きな選手は米シニアツアーで史上最多の47勝を挙げているベルンハルト・ランガー(ドイツ)。68歳となっても現役バリバリで活躍している。手嶋が全英オープンに出場したときにはランガーの練習ラウンドに「無理矢理」押しかけ、一緒に回ったこともある。「どれだけ時間をかけるんだっていうくらい、すごく細かくコースチェックをする。シニアで47勝? 尊敬しますね」。
“日本一練習しないプロ”と聞くと、やる気がないと思われがちだが、4年ぶりの勝利をきっかけに、手嶋の世界挑戦へのゴルフ熱が再び高まってきた。