
今回烏山城の最終プロテストでは特に上がりの17,18番ホール(三の丸の8,9番)が難所とされていた。17番(512ヤード)は打ち下ろしの左ドッグで、通常営業はロングホールだが最終プロテストではパー4設定。18番(400ヤード)はパー4だが左サイドに池、右サイドにはバンカーが待ち受けている。2段グリーンのピン位置によっては、池に入る可能性も高くセカンドショットをどこに置くか、どこに置けるか。マネジメントに加えショット技術の高さが要求される。
川﨑は専修大学ゴルフ部時代にはキャプテンをつとめ、日本アマチュア選手権に出場も経験している。卒業後は地元の神奈川にあるGDO茅ケ崎ゴルフリンクスで働きながら、プロテスト合格を目指してきた。ゴルフ場ではアイアンショット、ショートゲームを中心に打ち込み続けてきた。
プロテスト受験は今回で3回目。最終は初めての挑戦で、初日の第1ラウンドは緊張して自分思うようなプレーができず4オーバー、97位からのスタートに「あれだけ練習して備えてきたのに、これがプロテストの現実」と肩をがくっと落とした。それでもあきらめるわけにはいかない理由があった。
第2ラウンドは自分らしいゴルフを心がけ、冷静にプレーしていたつもりだった。ずっとフェアウェイを捉え続けパーで切り抜けていたが、難関の17番ホールでダブルボギー。たった1ホールでぐっと苦しめられた。続く18番で動揺があったことは否めないが、ティーショットはフェアウェイを捉えることができた。セカンドショットはグリーンを捉えてそのままカップイン。ダブルボギー、そしてイーグルと難所でスコアをイーブンに戻すことに成功。自分を奮い立たせ、後半でスコアを3つ伸ばし67をマーク、通算1オーバー41位タイと合格圏内に近づいた。

ところが第3ラウンドは73を叩き、通算4オーバーとして63位。一気に圏外へ押し出された。「精神的には絶望していました。最終ラウンドが悪天候予報だったので中止も想定していて、攻めるゴルフをした結果でした」と振り返る。「あと一日、18ホールやりたい」。3日目が終わり、何度も何度も念じた。
ゴルフの天気は当日にならないとわからないのが定説。最終ラウンドは大荒れの予報は裏切られ、天気は曇り。「プレーできる」と確信しやる気スイッチを入れた。10番ホール2組目の早いスタートからバーディチャンスにも恵まれスコアを崩さずにターン。難関の17番ホールではティーショットをドライバーで少しでも距離を稼ぎたかったが、2日目ダブルボギーをした経験もよぎり、勇気をもって5番アイアンを選択。まずはフェアウェイキープに成功。セカンドショットは刻んで花道へ。ピンに向かって丁寧なショートゲームを心がけ、ピンそばに着けてパーセーブ。自分の中で確かな手ごたえを掴んでいた。
後半も冷静にゲームを進め71でホーウアウト。通算5オーバーはアテスト次点で圏外ではあったが、後続の選手がプレッシャーと雨の中で次々とスコアを崩し5オーバーの合格圏内が確定した。成績ボードの前でなんどもスコアを見つめ、ラウンドを振り返って反省もあったが、精一杯やり切った自信もあった。念願の合格に「本当に嬉しいです。二日目、17番のダブルボギーから18番のショットインイーグルは、師匠の不思議な力が働いたとしか思えなくて」と涙をぬぐった。

川﨑にはゴルフの”師匠”がいた。ティーチングプロ一期生の中本博樹プロは、白血病に罹り5年前に他界した。「師匠のお見舞いに行って『絶対にプロになるので、もうちょっと待っててください』と話かけたんです。意識がそれまでなかったのに反応してくれて」と振り返る。それから2日後に息を引き取ってしまったが「あの時に通じ合ったことを覚えていますし、プロになることを強く誓いました」と決意を固めた。
ゴルフをしているときは、片時も師匠の存在を忘れたことはない。「ようやく、師匠のお墓にいけて、堂々と報告できます」と川﨑に笑顔が広がった。専修大学時代に副キャプテンだった和田歩は昨年先にプロテストに合格していることも、練習を続けるモチベーションだった。「同期にはいつも1年先を越されていましたが、これでようやく同じフィールドでまた戦えます」と良きライバルとの友情も再燃させたい。
「プロテスト受験を通じて、周りの方々にたくさん応援していただきました。茅ヶ崎ゴルフリンクスのみなさんにはいつも練習環境を整えていただいて、感謝しかありません。ショットの練習が生きたのだと思っています。これからはプロとしてもっとレベルアップを目指します」とさらなる高みを目指すことを誓ったのだった。