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シニアツアー

【マルハンカップ/FR】娘と共に戦い念願のシニア初優勝を飾った矢澤直樹「今日はドリームショットが打てた記念の日」

2025年08月24日
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今年で54歳、シニアツアー5年目を迎える矢澤直樹が念願のシニアツアー優勝を手にした。レギュラー・シニア通じてツアー初優勝の快挙に「ぜんぜん実感がありません、言葉が見つからない」と表彰式後も放心状態だ。それもそのはず。今年3月のシニアツアー最終予選会では肋骨が3か所折れていたにもかかわらず試合に挑んだ結果62位。

これまで予選会上位の常連だった矢澤も「予選会失敗」と肩を落とし、今年のツアー出場には絶望的だった。ただ唯一マルハンカップについては、昨年3位という成績を収めていたので「前年大会5位以内」という資格でのスポット参戦が可能だった。

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大会では長女・未羽(みう)さんが帯同キャディを務めることに。初日は2つボギーが先行したが、5つのバーディ奪取に成功し69をマーク。

最終ラウンドは首位と2打差7位タイからスタート。前半は1イーグルもあったが、1バーディ2ボギーとさほど上位とは差を縮められなかったが、崩れることもなかった。後半11番で7メートルのバーディが決まると12番でも連続バーディ。さらに14番でもバーディを重ね、この時点で7アンダー首位に。親子の息が合いテンションも上がる。

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16番ホールに向かう途中でスコアボードが目にはいり、自分の名前が一番上にあることを知った。「優勝できるかも」と頭によぎった直後、ティーショットは右の林を直撃。ショットがあきらかにゆらいだ。それでもサードショットをグリーンカラーまで運び、カップまでの距離は5メートル。未羽さんの読みと食い違ったが、ここは娘の読み通りにと打ち、ボールはするっとカップイン。難局をスーパー・パーセーブで切り抜けた。

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続く17番もパーで凌ぐと、最終18番ホールではグリーン手前の池のリスクも考慮し、刻んでパーを狙う作戦に。3オン成功し、バーディーパットは外れたものの、1メートルのパーパットをていねいに沈めて優勝を確定させた。
後続の組が逆転できない展開だとわかると、ふたりの様子を見守るギャラリーから大きな拍手が送られ、6月スターツシニアで優勝した岩本高志に次ぐ、今年2人目のツアー初優勝者が誕生した。

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マルハンカップは矢澤の地元である静岡の大会ではあるものの浜松から御殿場までは150キロ近くあり、仕事の都合上、練習ラウンドに行くスケジュールが組めなかった。試合の当週の木曜と金曜に計18ホール練習ラウンドの予定をいれていたが、「木曜は雷雲の影響でプレーが中止。実際は金曜の9ホールしか練習できていなくて、練習不足。試合当日は不安で不安でしかたなかった(笑)」と明かしている。

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それでも今回は心強い味方が側にいた。長女である未羽さんは父のゴルフで戦う姿に憧れ、現在JLPGAティーチングプロA級資格取得に向けて猛勉強中。高校生の時にはシニアツアーのファンケルクラシックで父のキャディを務めた経験もあり、今回は勤務する浜名湖カントリークラブの休みを利用し、親子で再タッグを組むことになった。

父の不安がる様子も「大丈夫、大丈夫」と明るさでリードし、毎ホール父の背中を押し続けた。父がティーショットを放つと、セカンド地点までは未羽さんが猛ダッシュし残りの距離を計測。グリーンの読みも正確で、父にとってはとても頼もしい存在だったことも勝因だったのだ。

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矢澤は18歳の時に、富士宮市にある朝霧ジャンボリーゴルフクラブで研修生としてプロを目指していた。25歳でプロテストに合格。ツアープロとして戦うことを目標に必死に練習を積んでいたという。

35歳のタイミングで静岡県浜松市にある“ドリームショットゴルフクラブ”から声がかかり、現在まで練習場で働いている。管理業務がメインで、「ゴルフの仕事で安定した収入があれば」と言い、PGAティーチングプロと一緒に様々な仕事に携わる。

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これまでレギュラーツアー出場の機会は得られなかったが、50歳という節目のタイミングで“シニアツアー”に挑戦。試合経験を重ねるたびに、自分のゴルフに磨きがかかるのが手ごたえとしてあった。さらに昔から付き合いのある静岡のトップアマ・鈴木將夫さんが、シニアツアーの帯同キャディを買って出てくれたことも頼りになった。

「日本全国、辛い時ばかりだったのに3年間も同行してくれていました。今回の優勝は未羽のおかげでもありますし、これまで鈴木さんが支えてくれたから。僕にとって一番の功労者です」とこの2日間、急遽応援に駆けつけてくれた鈴木さんにも感謝の言葉を口にした。

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今回の優勝でマルハンカップの翌日に予定していた日本シニアオープンの最終予選会はキャンセル。本戦に出場が決まり「もう、いろんな予選会の計画しなくていいんですね」と喜びもひとしお。ただ所属する練習場に対しては「いつもスケジュールで迷惑をかけてしまって、申し訳ないです。石野支配人には本当に感謝しています」とまた今年のシフトも少し調整してもらうつもりだ。

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矢澤の実家がある長野県松川町から両親もかけつけ優勝を見てもらうことができた。妻の広子さん、そして息子の斗羽(とわ)さんにとも喜びをわかちあった。

「家族には心配をかけてきましたが、応援をしてもらって力になっています。再びシニアツアーで戦えるだなんて夢のようです。今日はドリームショットが打てた記念の日ですね」と、矢澤のトレードマークである笑顔が大きく輝いたのだった。

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