
2日目を終えて首位から3打差以内に18人がひしめく大混戦となった「スターツシニア」。最終日も順位が大きく変動するなかで、勝負に終止符を打ったのは、歴代覇者の宮本勝昌(52)やプラヤド・マークセン(59・タイ)ではなく、シニアルーキーの岩本高志だった。これが岩本にとってレギュラー、シニアを通じて初めてのツアー優勝。1メートル弱のウイニングパットを決めた瞬間、「泣きそうになりましたけど、ルーキーで泣いてちゃダメだなと思って我慢しました」と空を見上げた。

東京都出身の岩本は、中学生のときに父親の影響で初めてクラブを握った。ゴルフの名門・東京学館浦安高、専修大学を経て、山梨で研修生として腕を磨き、1998年の23歳のときにプロテストに合格。身長165センチと小柄だが、研修生時代からドライバーは曲がらないことで評判だった。
そのショット力は今大会でも際立っていた。2日目のベストスコア「65」をマークして、20位タイから一気にトップタイまで順位を上げる。最終日も次々とショットでチャンスを演出するも、パットがなかなか決まらない。

それでも3つのバーディを奪って、トータル12アンダー・トップタイで最終18番パー5を迎えた。同スコアには1つ前の組を回るマークセンと、同じ最終組で回るサイモン・イエーツ(スコットランド)。2オン可能でイーグルも計算できるため、トータル11アンダーの飯島宏明にもまだチャンスが残されていた。
マークセンはパーでフィニッシュし、トータル12アンダーのまま。最終組の3人はイエーツと飯島が2オンに成功。岩本はグリーン手前のエッジまで運び、ピンまで8メートルのパターで打てるところにつけた。この時点で3人はバーディ以下で上がる確率が高く、マークセンの優勝の目はほぼ消えた。

先にホールアウトした多くのシニアプロたちが固唾を飲んで見守るなか、先に打った岩本のイーグルパットは80センチオーバー。次にイエーツが放った6メートルのイーグルパットもカップを過ぎて1メートルほど転がった。周りからはため息が漏れる。続いて打った飯島も外して敗退。2人が決めるとトータル13アンダーで並ぶことになる。ギャラリーも岩本自身も「イエーツとプレーオフだな」と考えていた。
ところが、イエーツの短いバーディパットは、カップに蹴られてまさかの3パットでパー。岩本に優勝のチャンスが巡ってきた。「まさかイエーツが3パットすると思わなかった。急に最後のパットにプレッシャーがかかりましたね」。最後は1メートル弱の下り。「真っすぐだと思います。あんまりよく分からないです。狙って外れたらしょうがないと思って打ちました」。強いタッチで打ったボールはカップに消え、大きな拍手と大歓声が起こった。

ホールアウトすると、勝負を見守っていたプロたちがペットボトルの水を、岩本の頭の上に浴びせる。男子ツアーではお馴染みのウォーターシャワーだ。「何回もかけていただいて本当に幸せです。気持ち良かったです」と初めて味わう儀式に喜んだ。
この日はプロゴルファーの弟・岩本通が両親を連れて会場に駆けつけていた。「ジュニアの頃からゴルフをやってきて、きっかけは父親でしたから。スイングのことで昔はよく衝突もしました。最近は僕の成績をネットで見て喜んでくれているのは分かっていた。でもまさかこうやって初優勝を見せられると思っていなかった。本当に…うれしいです」。86歳の父の目の前で達成した“父の日V”に言葉を詰まらせた。

レギュラーツアー時代は2016年の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」の2位が最高成績。同年、賞金ランキング65位で初シードを獲得している。41歳のときだった。というのも、岩本は27歳のときにドライバーイップスを発症し、成績がまったく出ない時期を経験している。
「7年くらい続きましたね。ドライバーは真っすぐしか行かなかったのに、右か左で真っすぐだけ行かない。構えるのも嫌だったし、本当にゴルフをやめようと思っていました。最初は何とかやりくりしていましたけど、そんなに甘い世界ではない」。30代前半で一度ツアーから離れ、現在の所属先でもあるインドアゴルフスクール『K’s GOLF LOUNGE』でレッスンを始めた。それを克服して、再びレギュラーツアーに出られるようになったときには、40歳を過ぎていた。
その後、レギュラーツアーのシードを落としてからは、下部ツアーで試合勘を養いながら、シニアツアー参戦に向けて、コツコツと練習を続けてきた。プロになってから27年。ようやく初勝利を手にした。

そんな岩本の夢には続きがある。「僕が今年目標にしていたのが相模原ゴルフクラブの日本シニアオープン。そこで本当に優勝したい」。今年3月の「PGAシニアツアー予選会・最終予選会」は27位に終わり、コンスタントに試合に出られる目安となる24位以内を逃した。日本シニアオープンも地区予選から勝ち上がる必要があった。この優勝で状況は一気に好転し、今後は日本シニアオープンを含むシニアツアー全試合に出場できる。
「日本シニアオープンは難しいセッティングで、ロースコアだから僕に合っている。今年の開幕から日本シニアオープンで何とか結果が出るように準備をしたいなと思っていた。優勝してもそれは変わらないし、歳も歳だし、今まで通りやります」。一度はツアーを離れようとしていた男の努力は実を結び、50歳で目指したゴールに向かって、止まることも迷うこともなく突き進んでいく。
