ゴールドルーキーの島村豆至天(しまむら・としお)が2007年のティーチングプロシニア選手権大会以来、PGA競技で2勝目を挙げた。
11月7日は暦の上で立冬。東京では木枯らし一号が各地で吹き荒れ、今季一番の冷え込みを記録しているニュースが流れる中、栃木にある烏山城カントリークラブではベテランティーチングプロたちの戦いが繰り広げられることになった。
最終ラウンドのコースには、朝から青空が広がり、冷たい北風がコースを吹き抜ける。本丸1番のティーインググランドに現れた島村は晩秋のまぶしい朝陽をたっぷり浴びて、仄白い空気をまとい、悠々と入場した。「今日は風の強い一日だとわかっていたから我慢を覚悟しました。耐えればチャンスがくる」ということを何度も肝に銘じてティーショットを放ったのだ。
島村はスタートホールをバーディとし好調な滑り出し。前半は3バーディ・2ボギーの35でターン。ハーフターンのスコアボードで他の選手がスコアを伸ばせず、後続と4打を着けていることを確認し「とにかくひたすら耐えるぞ」と自らを鼓舞。
バックナインはさらに北風が強くなり、コースはさらに難易度を増していく。島村は後半10、12、13で3つボギーを叩いたが17番でバーディを獲り、最終ホールをパーで切り抜けて73でホールアウト。2位に3打差の通算2オーバーは、この日同時開催していたグランドの部と双方の成績と合わせても総合優勝スコア。ヤーデージは一緒だが、当然年齢で区分している大会のため、別々での表彰になるが「嬉しいですよ、自信になります。ゴールドだけじゃなくてグランドでもトップなんですよね。あっち(グランド)の賞金ももらえるといいね」と破顔一笑した。
烏山城は、日本プロゴルフ選手権や日本女子オープン選手権といったメジャー大会が開催されており、グリーンが難しいことで知られるチャンピオンコースだ。島村はゴールドデビュー戦で好成績を残したいと、これまで練習を重ねてきていた。10月下旬に、箱根湖畔GCで開催されたツアー対象外の2日間大会では2位に食い込み、調子をあげていたという。
島村は、試合中の感情を一定に保つことをこれまでずっと続けており、それが今回完全優勝に繋がったのだ。ゲームの中では「静かに」感情を一定に抑える。自分のメンタルゾーンの中でやるのがプロゴルファーと定義している。その発想は今回グランドの部で出場している師匠・加藤優から学んだという。
「加藤プロは試合でいつも60台を出していて、すごいなぁと。練習の中で生まれる「差」を教えてもらいたいと直談判したんですよ。加藤プロはトーナメントプレーヤーで、私はティーチングプロという立場。そしたらグリップを直した方がいいといきなり言われて、ね。ゴルフは基本に立ち返ることの大切さを教えてもらったのです。それからは、ずっと師匠にゴルフの相談をしながら、ゴルフを一緒に楽しませてもらっています」。年齢や立場を超えた、ゴルフを通じた付き合いがあったのだ。
「1人で課題に向き合い研究していると思うのですが、僕の場合はひとりで研究するのは難しい。だから何かあるごとに、加藤さんに相談しているんですよ」と明かした。加藤は「島村さんは本当に真面目で、練習は相当な努力を続けられています。お互いに認め合いながら上へ上へと目指すのは、プロとして心地良い関係です」と穏やかな表情を見せた。
4年前は、年齢制限のないPGAティーチングプロ選手権の本戦へ出場し4位と好成績を収めている。「若ければ若いほど、プロはパワーや持久力を持ち合わせていますが、シニアになるといろんな要素が混ざり合ってくる中で、どうゲームを成立させるかというところがポイントになってくる。だから自分から経験値を積んで、ゲームの幅を広げたい」と島村は好奇心を抱いている。
プライベートでは結婚して24年目。息子も大きくなり、現在3人家族で仲良く過ごしているという。最終ラウンドのスタートで光輝いているように見えたのは、島村の勝負服が上下「ホワイト」でまとめられていたこともある。それは勝負カラー?と尋ねてみたら「実はゴルフウェアは妻が毎回、日数分ね、コーディネイトを考えて用意してくれているんですよ。今回最終日は白でまとめてもらっていただけ」と明かしたが、それはゴルフ場で働く父への熱い想いが、毎回毎試合、コーディネイトに込められていることも勝利の要因だったに違いない。
「今回の最終日は気合も入っていたし、白だから集中できたのかもしれないね。妻には感謝しています」と目じりを下げる。
ティーチングプロ歴では30年を超えるベテラン島村は、これまで5000人以上のレッスンを診ることが生活の中心だった。ゴールドシニアになり、こうして優勝の喜びも味わえる。「今までできていたことは、シニア年齢になり身体も変化する。だから考え方を変えざるを得ないですよね。自分の年齢と経験をもとにした“対応力”が求められるようになっていますから」と口を引き締めた。島村は “対応力”を備えるため、これからも歩み続ける。