コースセッティングアドバイザーとして、いつもはトーナメントを裏方で支えている田中秀道が、3年ぶり2度目のシニアツアー出場を果たした「コスモヘルスカップ シニアゴルフトーナメント」。20年近くショットイップスに苦しみ、「80」を切るのも難しかった田中が、「71」「68」と2日間アンダーパーを並べて、トータル5アンダーで9位タイに入った。トップ10フィニッシュは2009年のレギュラーツアー「三井住友VISA太平洋マスターズ」以来、実に15年ぶりとなる。
田中が最終18番グリーンに行くと、リーダーボードには6位タイで『田中秀道』と載っているのを見つけた。「正直いうと、ちょっと一粒の涙が落ちそうな状況ではありました。この5、6年はシニアツアーに携わって、戦っている選手たちを『いいな』と思いながら見ていた。だけど自分が同じステージ立つことはなかなかイメージできない状態だった。そこに自分の名前を見られて幸せな感じでした」。
久しぶりにゴルフらしいゴルフができている。初日に同組で回った桑原克典も温かい目で田中を見守っていた。「ジュニアから一緒にやってきて、あんなに上に行った人間がこんなに苦労して、何をやってもダメで。頑張ってここまで来たのかって思うとすごいジーンと来て、途中で泣きそうになった」。そんな桑原に対し田中は「桑原さんとは何十年も一緒にやっていて、イップスの症状をしっかり間近で見てくれて、試合で『90』を打ってもメールをくれたり、『頑張ってね』と言ってくれたり、初日は同じ組で助かりました」と、気遣いに感謝している。
1998年の「日本オープン」を含む日本ツアーで10勝を挙げている田中が、ショットイップスに悩まされるようになったのは、米PGAツアーに参戦していた2006年。「切り返しでアッとクラブが消える感じです。100ヤード(幅)のフェアウェイがあっても隣の家に入るくらい」。
米ツアーでシードを落として07年は日本ツアーに復帰。「休まなきゃいけない状況なのに、男子ツアーがいまいち盛り上がっていないと聞いて、頑張らなきゃと思って1年やっちゃったんですよ。症状が治まらないまま2006年、2007年と2年やってしまったので、もっと悪化しました。2008年に1年間休養したんですけど、なかなかアクは取れずに、2005年から19年くらい普通のゴルフができていませんでした」。
田中が活躍していたときの代名詞はドローボール。中継のカメラが後方から田中を映すと、ボールは画面の右に一度消えるが、しっかり左に戻ってきてピンを刺す。それがイップスの症状により、右に出て右にスライスするようになった。ドローヒッターにととって逆球のスライスは致命的で、ゴルフの組み立ては完全に崩壊する。出球をストレートにするなど試行錯誤を繰り返したが、なかなか「80」が切れない。
「ドライバーはシャンクみたいな球でスライスして隣の隣のホールまで行っちゃう。フェアウェイ真ん中からショートアイアンでも隣のホール、サンドウェッジでも隣のグリーンに乗ったりするケースが多かった。OBが止まらないので、スコアでいうと『120』が切れないときも。(ツアー外競技の)岐阜オープンには毎年出ていて、去年と一昨年は途中で棄権していますが『100』を切ってないんですよ」
そんな田中の最大の難関はアマチュアと一緒に回る“プロアマ戦”。「見えるところに飛ばないとやばいな、隣のホールに行ったらどうしようと思うと、余計にクラブが上がらなくなる。試合で曲がっても自分が頑張ればいいだけなんですけどね。試合以外のプロアマの話があっても全部断っていました」。それが今週はプロアマ戦にも出場にも出場して、「第一段階でしたけど楽しくやらせていただきました」と話す。
19年間悩まされてきたショットイップスに光明が差したのは今年4月のこと。「3月までは誰もいないゴルフ場で3球打って3球とも隣のホールに並ぶくらいだったんです。これは何か考えて打つ次元じゃないと思って、本当におじいさんが使うようなグニャグニャのクラブを借りて練習場で打ってみたら、フックが返ってくるんですよ。距離は出ないんですけど、面白いと思いました」。当然、世界最高峰のPGAツアーで戦っていた20年前とは、柔軟性や筋力が違う。「体でため込んでしなりを出すのができないので、シャフトをしならせれば何とかなるというのが分かりました」と、ついにドロー復活の糸口をつかんだ。
そこから試行錯誤を繰り返し、ドライバーのフレックスは『X』から『S』に、アイアンからサンドウェッジまでは「生まれて初めて」スチールからカーボンにスペックダウンした。今年4月に出場した岐阜オープンは予選落ちだったが、「75」で回って手応えを得る。
プロは普段のラウンドで上手くいっても、試合でできなければ「成功体験ではない」。4月からツアーに出場する機会を探していた。そんなときに今大会のディレクターから『チャレンジしてみませんか?』と声がかかり、「ありがたく挑戦させてもらった」。その試運転とも言える2日間は、「シャフトのしなりを上手く利用して、そのフィーリングを崩さずにゴルフができた。まだプロゴルフの域ではないですけど、数字上はアンダーパーを続けたことは何よりも大きい」と手応えを得た。
選手としては長くツアーから遠ざかっていたが、今後は試合出場が増えていく可能性を示唆する。「シニアツアーのセッティングに関してもまだやれることがたくさんあるという思いもある。フル参戦はできずとも、もう少し参戦させてもらえたらなと思っています」。ホールアウト後はギャラリーが田中に駆け寄りサインを求める場面もあり、人気は健在。ピンを刺すドローボールを多くのファンも楽しみに待っている。