渡辺司が昨年11月の「いわさき白露シニア」以来、およそ10カ月ぶりに戻ってきた。
「日本プロゴルフグランドシニア選手権~ユニテックスHDカップ2024~」の初日は、前半「42」、後半「36」の「78」で7オーバー・54位タイ。「僕としては来た甲斐があった。まずゴルフができた。18ホール回れた。自分にとっての不都合は何もなかった。最初のハーフは緊張するんだね。グリーンを外すと全部ボギーになっちゃう。後半はバーディも出たし、グリーンを外してもパーでしのげたところもあった」と、その顔には充実の色が浮かぶ。
渡辺が『多発性骨髄腫』のステージ1と診断されたのは昨年の1月。左ヒザの半月板の手術を受ける前の血液検査で判明した。何も自覚症状はなかった。『多発性骨髄腫』は⾎液細胞の⼀種である形質細胞ががん化し、症状がひどくなると骨の破壊や腎障害が起こる。その原因はよく分かってない。
症状がなかったため、大学病院の主治医に相談し、1カ月に1回血液検査をして様子を見ながら、23年シーズンはシニアツアーのほぼ全試合に出場した。ところが、シーズンを終えた12月、右上腕に激痛が走る。「腕の痛みが骨髄腫が原因とは思っていなかった。40何年も試合をしていると腕が痛いなんてのは年中だから」と最初は軽く考えていた。
年が明けて1月になっても痛みが取れないため、ヒザの手術を受けた整形外科で診てもらうことに。レントゲンを撮ると「骨髄腫から来る痛みだと思うと言われた」。2月から注射と薬による治療を開始。痛みでとてもゴルフができる状態ではなかった。その後、「くしゃみで骨が折れた」と、もろくなった骨がついに悲鳴を上げた。
「骨の中に髄内釘っていう金属が入っている」。2月に手術をして主治医からクラブを握ることが許されたのは今月に入ってから。「硬い金属が入っているから軽くスイングするには大きな問題がないんだけど、フルスイングすると骨が砕けちゃう可能性がある。だからドライバーはキャリーが170~180ヤード。150ヤードは普段170ヤード打つクラブでポーンと打つ。7カ月もゴルフをしてなかったわけだから、ここでちょっと頑張って良い球を打ったところで、スコアが悪くても骨が砕けない方を選ぶでしょ」。
そんな状態でなぜ今大会に出場しようと思ったのか。「ここはカートでプレーできるし、グランドシニアだから若干距離も短い。アプローチやパッティングもずっと練習していなかったから、そういう練習にもなる」。この初日がゴルフを再開して6ラウンド目。今大会は乗用カートに乗って移動できるため、体への負担も少ない。現在の自分の状態を確かめるにはちょうどいいと考えたのだ。
「今年最初で最後の試合」と思って臨んでいるが、10月の検査でフルスイングの許可が出れば、シニアツアーへの出場も考えている。「前提条件としてカートが使えるところは出てみたい。佐世保シニアオープン(10月12日~13日)とか、福岡シニアオープン(10月26日~27日)は行こうと思っている。もしかしたら、いぶすき(最終戦のいわさき白露シニア・11月22日~24日)は出られるかもしれない。スコアが悪くてもみんなと一緒に動けるようになればと今は思っています」。佐世保と福岡は乗用カートで移動できるが、いぶすきは乗ることはできない。
また、今大会ではツアーで一緒に戦う選手たちから温かい言葉をかけられていることも、復帰への思いを強くしている。この取材中も加瀬秀樹から「大丈夫?」と声をかけられた。「みんなが声をかけてくれるのは本当にありがたい。長い間、一緒に同じところで戦ってきたし、最近は一緒にイベントを作ってやったり。何て言うんだろうな…友達っていうんじゃないんだよね。俗に言う戦友みたいな感じ。だって戦うことが全体の間柄だからね。だけどただの敵じゃないんだよ」と、本当に楽しそうに笑う。
続けて、「相手が何か困っていればみんなで応援して助け船を出すし、自分も出してもらうし。本当の敵だったらそういうことはしたくないでしょ。心の底から手助けをしたいと思う間柄ってありがたいよね。人に対して自分が感じていたことが、人も僕に対してそういうふうに思ってくれたことがうれしいよね。本当にありがたい仲間です」と語る。実際、左ヒザの手術を受けた病院は高見和宏から紹介された先生がいるところで、それ以前に腰の状態が悪かった高見には渡辺が名医を紹介している。
「病院の先生もそうだし、それ以外の多くの人たちがサポートしてくれたおかげで、自分の体が少し改善してきた。これからは焦らないでちょっとずつ1年前のできたことの6割、7割のできる日が来ることを祈っている。もう10割には戻らない。今は8割まで戻れたら最高だと考えている」
最終日の今日も戦友たちに囲まれた温かい職場で、笑顔でプレーする渡辺の姿が見られるだろう。