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11番パー3ホールで「+10」というスコア速報が表示された。パー3で「13」という珍記録。選手は10番ホールからスタートした地元岐阜県出身の光田智輝だった。
メジャー仕様のコースセッティングで、最終日ともなればピンポジションもシビアになり、難易度も高まることは必須。予選通過ギリギリのライン、イーブンパーでクリアした光田はひとつでもスコアを伸ばして、結果を示そうとティーオフをした。インスタート10番ホールで、セカンドショットがバンカーへ目玉の状態で入ってしまった。出すだけの選択で、寄らず入らずのいきなりのダブルボギーで幕をあけた。
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続く11番パー3。バーディーで取り返そうと、気持ちで放ったティーショットは左に流れて崖の下へ。カート道の左1メートルくらいのスポットにボールを発見したが、目前に動かせない障害物のガードレールが立ちはだかってしまった。クラブを振れないポジションであれば救済が受けられるのだが、ここはクラブが振れてしまうアンラッキーなスペース。脱出しようとボールを打ってはみたものの、遮る枝木に当たり、再びアンラッキーエリアへボールが戻ってきた。クラブは触れてしまうが、脱出には難しい木が密集するエリアに困窮し、アンプレアブルを宣言して、元の位置から繰り返すこと、かれこれ4度目でようやく脱出に成功。ラフからグリーンに載せて1パットでようやく寄せワン。
本人曰く「一生上がれないんじゃないかな・・・」と絶対絶命の心境から「ガッツ・13」のカップイン。1ホール「13ストローク」という、近年まれにみる数字が、光田のスコアカードに刻まれてしまった。
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光田は心が折れそうになった。スタートしてわずか2ホール目でビックスコアが確定した中、なんとか前半は50を切ろうと気持ちを切り替えた。じわりと格闘は続いた。14、16番で2つスコアを落としたが、17番でバウンスバック。しかし難易度の高い18番でボギーにしてしまい、目標だった50は切れなかった。
それでも試合は道半ば。プロゴルファー光田は、応援してくれるファンと会場に駆け付けた妻、そして3歳になる娘のために全力を尽くすことを誓った。「後半は全部バーディーを獲るつもりで向き合った」と振り返り、そのマネジメントを徹底した。3、5、7番とバーディー奪取に成功。後半は33で回り83ストロークはこの日のワーストではあったが通算10オーバー、63位で大会を終えたのだった。
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ホールアウト後「もしかして日本プロで一番打ってしまったのでは?」と光田はおどろおどろツアー機構の広報に尋ねたが、現状日本プロで1ホールの最多スコアは、2014年のI・H・ホ選手が18番ホールで叩いた14ストローク。パー3に限って言えば、光田が最多ストロークの記録を作ってしまったことになるが・・・。
光田が最後まで戦えたのは、地元開催の日本プロでわざわざ現地で応援してくれたサポートの力がある。プロとして最後まであきらめないで戦う姿を伝えたかった。「当初から無難なプレーができれば良かった」とは簡単に言えるが、プロゴルファーとしては磨きをかけた1打1打を観てもらいたかったのが本音である。スタートしてまもなく、コースの洗礼を受けたことは、早い段階で気持ちが切り返せたと、絶妙のタイミングには納得させられたのだった。
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「悔しい最終ラウンドでしたが、全力を出せたことは自分にとって良い経験だと振り返りますし、来年、また岐阜(谷汲CC)で開催する日本プロでリベンジを果たそうと思います」と口元を引き締めた。
ゴルフは最後まで行方がわからない。ただ言えることは諦めずに、最後まで自分のゴルフに信念と自信を持つこと。光田はまた一つ大きな経験値を得て、来年再び岐阜で開催される日本プロ出場に向け努力を続けるだろう。