第44回全米シニアオープンの最終ラウンドは、7月1日にサスペンデッドの残りが朝8時から行われ、通算13アンダーで藤田寛之とリチャード・ブランドが並び勝負はプレーオフにもつれ込んだ。4ホールに及ぶ戦いが繰り広げられ、最後はブランドがグリーンサイドバンカーから放った3打目がピンにデッドに当たり、ウィニングパットとなるパーをねじ込む形で決着。ブランドが今季2つ目のシニアメジャータイトルを獲得した。
第1ラウンドで藤田は7バーディー・ボギーフリーの63、第2ラウンドでは5バーディー・1ボギーの66をマークと首位をキープし大会をざわつかせた。第3ラウンドではさらに3つスコアを伸ばし2位のスティーブ・ストリッカーに2打差を着けて最終ラウンドへ突入。30日に決着すると思われていた最終ラウンドでは、悪天候のためスタートが2時間遅延。最終組の藤田、リチャード・グリーン、ストリッカーは10番ホールまでプレーを進行させ、この時点で藤田は2位のブランド(最終組の1つ前)と3打差が開いた状態で、大会サスペンデッドが決定した。5月の全米プロシニアに続くシニアメジャー2勝目を狙うブランドが前半でスコアを4つ伸ばしていることもあり、プレー再開後は状況の見極めも必要になるタイミングではあった。
藤田はメジャー仕様のコンディションの中で抜群のフェアウェイキープ率を示し、中断前までは98パーセント(50ホール中49)に達するなど、選手の間でも高い注目が集まっていた。藤田は63ホールまでの戦いで首位に立ち、完全優勝まで残り8ホールという状況でプレー再開後の翌朝8時を迎えた。しかし、ここからが勝負の分かれ目になるとはだれも予想しなかった。
サスペンデッド再開後、藤田は出だしの11、12番で連続でボギー。さらに14番でもスコアを落とし、調子を掴めずにいた。「この一週間で初めての風向きで、プレーが硬くなってしまった」と肩を落とした。結局藤田は残り8ホールのゲームを思うように進められず最終ラウンドは71と苦戦、通算13アンダーは、前組でプレーしていたリチャード・ブランドが66をマークするなど猛追により首位に並ばれた形となった。
プレーオフは1,18番ホールの合計形式で決着。スコアタイの場合はサドンデス方式に切り替わる。プレーオフ決戦は44回の歴史で7度目の開催となった。1ホール目(10番ホール)両者パー。2ホール目(18番ホール)も両者譲らずパー。サドンデス方式に移る3ホール目(18番ホール繰り返し)ではボギー。4ホール目で、ブランドのバンカーショットはピンに直接あたり、ボールはピンそばに落ちてパーを確実にした。藤田は7メートルのパーパットを決められず、メジャータイトルはブランドの手に渡った。ブランドは5月に全米プロシニアで優勝しており、2大会連続でメジャーを制覇したことになった。イギリス人のシニアメジャー優勝はロジャー・チャップマン(2012年)に続き2人目だった。
藤田は「最終日はあまり良いプレーはできなかったですね。プレーオフでは負けましたが、今週は全体的に良いプレーができていました。今日はいつもと違う風だったので、スタートから自分自身がちょっと硬いという不安要素が多かったと感じています」と振り返った。「日本からたくさん応援していただいていることもありましたし、良いパフォーマンスをして、優勝トロフィーを日本に持って帰りたかったですね」と悔しさをにじませたが、全米シニアオープンという世界トップスターの集まる舞台で”FUJITA”の名を知らしめたことには間違いない。