先週の6月6日に50歳の誕生日を迎えた高橋竜彦が、明日14日から3日間の日程で行われる「スターツシニアゴルフトーナメント」(スターツ笠間ゴルフ倶楽部)でシニアデビューを迎える。「ABEMAツアーでは手嶋(多一)さんがいない週は僕が一番年上だから偉そうにしてきたけど、ここでは一番年下です(笑)」。昨日の練習日は、先輩たちに挨拶して回り一日が過ぎた。
1974年生まれの高橋は名門・日本大学を出てプロ転向。いまから26年前、98年にツアーデビューを果たした。プロ入りしてからはなかなか結果が出なかったが、2005年の「アイフルカップ」でツアー初優勝、同時に初シードを獲得した。勢いそのままに、06年には国内メジャー「日本ゴルフツアー選手権」で中嶋常幸を抑えて優勝を飾っている。
しかし、ツアー選手権の5年シードが11年に切れると、翌12年以降は下部のABEMAツアーでのプレーがメインで、なかなかレギュラーツアーには出場できなくなった。転機があったのは21年。JGTO(日本ゴルフツアー機構)のコースセッティングアドバイザーに就き、選手と二足のわらじを履く生活が始まった。
ツアーの裏方の仕事を経験し「試合をやるのにコース管理がどれだけ大変か分かったし、ホールロケーションとかセッティングの勉強にもなった」と語る。今年もレギュラーツアー開幕戦の東建ホームメイトカップでコースセッティングアドバイザーを務め、ABEMAツアー5試合に出場している。
「自分のゴルフの調子が良くなかった」と、2年半前からは、シニアツアーを見据えて、日大の1年後輩でツアープロコーチを務める辻村明志のもとで、スイング改造に取り組んできた。『チーム辻村』には現在、上田桃子や吉田優利、今年から加わった渋野日向子などがいる。毎年恒例の宮崎で行われるチームの合宿には、若い女子プロたちに交じって「こそっと数日だけ」高橋も参加した。
ABEMAツアーに出場して試合勘を保つのも、辻村コーチとドローボールを磨いてきたのもシニアツアーのため。レギュラーツアーで2勝を挙げている高橋は、予選会に出なくても1年間シニアツアーに出られる権利があったが、それを行使しなかった。昨年8月の「PGAシニアツアー予選会・1次予選会」、同年12月の「PGAシニアツアー予選会・2次予選会」を突破し、今年3月の「PGAシニアツアー予選会・最終予選」を13位で終えて今年の出場権を手にした。
そんな高橋の横には、レギュラー時代から毎試合のように帯同しているプロゴルファーの妻・牛渡葉月の笑顔がある。近年はキャディとしても夫を支え、このシニアデビュー戦でも当然のように夫のバッグを運ぶ。「一緒にいると、何て言うのかな…家にいるようで、何でも身の回りのことをやってくれるし、僕にとってはすごく楽です」と、ちょっと照れながら夫はいう。そして、「ケンカはしますけど、僕らには子どもがいないので、レギュラー時代からずっと近くで見てくれていた。僕らにとっては普通です」と話す。
妻は夫がシニアデビューを迎えるにあたり、「私も緊張しています」と微笑む。2人の出会いは高橋の日大時代に遡る。当時、日大ゴルフ部は烏山城カントリークラブでよく合宿や試合を行っていた。そこで研修生をしていたのが妻で、当時は「お友達」だったが、何年後かに再会し、2005年にゴールイン。今年で結婚生活は19年目となる。
夫が良い時も悪い時も常に近くで見てきた。「シードを落としてからいろいろあったけど、シニアツアーがあるから試合に出続けてきた。1人で練習してきて『これでいいだろうか?』というのも、今は辻村君と一緒だからない。2年前よりいい球を打っているし、モチベーションは高いです」。
今年のシニアツアーでの目標を聞くと、「20代からレギュラー目指して一生懸命やってきて、いい結果はそんなに残せなかったけど、50代はもう少し楽しんでやりたい。そこまで自分を追い込まずに、もうちょっと楽な気持ちでゴルフをやれたらいいかな」と、少し意外な答えが返ってきた。『1年目から優勝』といった、威勢のいい言葉は出てこなかった。
そして、「今までは本当にゴルフ、ゴルフ、ゴルフだったので、もうちょっと他にも目が向けられたらいいなと思います」と、遠征先で妻との観光も楽しみたいと考えている。妻も「同じです。楽しくやりたいです」とうなずく。ワクワクもあり、ドキドキもあり。二人三脚のシニアツアー生活がいよいよ始まる。