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日本プロ

〔FR〕谷原も武藤も欲しかった初の日本タイトルを巡る攻め合い

2016年07月10日
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1人が「ゾーンに入る」ことはよくあるが、同じ組の3人が一緒に「ゾーン」に入って、しかも2日間も続くのは、そうそうあることではないだろう。


3日目、3人で22バーディーを奪った。後半だけで15バーディー。一晩寝ても、3人の気持ちもプレーも途切れなかった。3日目前半で少しばたつき、貯金を減らした武藤。谷原、宋に3打差首位でスタートした。前日失敗した1番パー5。フェアウエーからピン左下7メートルに2オンさせる。バーディー発進に付き合ったのが宋。離されない。2番パー3では谷原、宋がバーディーチャンス。左に曲げて12メートルを残した武藤が、マウンド越えのスライスラインを先に放り込む。バーディーに付き合ったのは谷原。下3メートルを入れた。離されない。3番では上1メートルにつけた武藤に対して、谷原がその内側につけ、宋はさらに内側につける。3人ともバーディー。離れない。


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ただ、序盤の武藤は「神って」いた。4番では上3メートルを入れ、5番ではバックスピンで戻して30センチにピッタリ。5連続バーディーで突き放しにかかった。前日6番からの3連続と含め、2日がかりの8連続バーディーは記録が残る1999年以降では最多連続バーディータイ、日本タイトルでは新記録になった。


6番ボギーで小休止した武藤だったが、中断をはさんだ中盤も3人のバーディー合戦は止まらない。7番以降、2度目の中断となる13番終了までに、谷原が4つ、武藤、宋が3つ伸ばす。14番で1オンを狙った谷原が池に入れ、同じく狙った武藤がグリーン奥のラフにいれたところで、中断のサイレンが鳴った。この時点で武藤23アンダー、谷原20アンダー、宋18アンダー。まだ分からない。


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再開後、池の手前からの第3打、谷原がピン80センチにつけて見事なパーセーブ。武藤も、宋も2打目で寄せてバーディー。集中力が途切れない。このパーセーブで谷原がさらにギアを上げる。16番パー5で武藤が第3打をまさかのグリーンオーバー。アプローチも寄らずボギーにする。23アンダー。それを見た2人。宋は6メートル、谷原が2メートル強を入れる。谷原21アンダー、宋20アンダー。すさまじい戦いになった。谷原は17番でも8メートルを沈めてついに1打差に迫った。宋は取れず、ほぼ届かなくなった。


最終ホール。谷原はフェアウエーに置いた。武藤は左のラフに入れた。先に打った谷原は池を越えたものの手前のラフ。武藤は池の手前にレイアップを選択した。今度は先に打った。ピン左下7メートル。谷原。ピン下1メートルに寄せた。武藤のパーパットがカップ左を通過。パーセーブした谷原が72ホール目で追いついた。最終日、3人で取ったバーディーは26個、2日間で計48個が積み上げられた。もう1つ、プレーオフが残った。


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 18番での1ホール目。先に打った谷原が右に林に入れる。16番はワンオンを狙った結果だったから、この日初めてと言っていいミスだったが、木の間を抜いた第2打でグリーン手前まで運んだ。武藤はフェアウエー左サイドからグリーン左に一端はオンさせたが、転がってグリーンをこぼれた。パターで寄せた谷原は1・5メートルショート。同じくパターで寄せた武藤は2メートル強ショート。先に武藤が打ったがカップの縁に止まった。後で打った谷原が決めた。残り4ホールで4打差を追いつき、大逆転のフィナーレ。日本プロの歴史に刻まれる「名勝負」になった。


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武藤 僕に運がなかったということです。2回目の中断の後まったく体が動いていなかった。16番の3打目も体が動いていたら問題なかった。そこでしょうね。でも、谷原選手は9アンダー。しゃあないですね。最後も林からグリーンの近くまで出してきている。運がこの試合では谷原選手に味方したということ。最後あれだけバーディーをとった谷原選手がすごかった。内容的には谷原選手が上でしたね。しばらく、休みたいです。


谷原 本当に欲しいタイトルだった。うれしい。武藤選手、ありがとうございました。ほんと、3人の最終組のバーディー合戦。見ていた人も「すげえ、すげえ」といってくれて、盛り上がって、最終的に僕が勝てたのがよかった。(武藤の)最初5連続バーディーで厳しかったけどくじけるわけにはいかなかった。メジャーに勝っていないことで寂しい気持ちがあった。14番で池に入れてこれで終わりかとも思ったけど、あきらめずによかった。


倉本PGA会長 3人のすばらしい戦い。最終組の3人が生き残るのはめったにないこと。すばらしかった。いい試合になりました。


 谷原、武藤とも欲しかった初の日本タイトルを巡る稀に見る攻め合い。こんな試合を見られたギャラリーは幸せだった。


(オフィシャルライター・赤坂厚)