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シニアツアー

<富士フィルムシニア・FR>念願のプロ初優勝を飾った田村「プロになってホント、よかった」

2016年11月05日

 念願の「プロ初優勝」。田村尚之(52)にとっては、まったく想像していなかった形で、手に入った。優勝を聞いたのは、プレーオフに備えていた練習グリーン。先に通算6アンダーでホールアウト。5アンダーに後退していたマークセンが「18番では取るでしょう」と思っていたところへ、1メートル強のバーディパットが外れたという連絡に「ホント?」と何度も確認した後、ようやく笑顔になった。

 「よく、風邪ひいたときに勝つとか、聞きますけど、不思議なものですねえ」。本音だった。今大会、優勝争いどころではなく「完走」が目標。10月22、23日に行われた後援競技のアサヒ緑健で肋骨のあたりに痛みがあり、最終日棄権して検査したところ「肋軟骨骨折」の診断。1週間、何もせずに固定して、この大会には「行って、ゴルフをやってみて、できるようならやろうと」とコルセットでガチガチに固めて来た。「優勝争いなんて夢にも思わなかった」のが、シニア初優勝が転がり込んできた。「優勝がほしい」と思っていた時は倉本、室田、崎山ら、いつもだれかにやられて2位だった。「いつも欲かいて失敗するんですけど、今回は欲をかかなかったのがよかったのかもしれませんね」と、振り返った。

 首位マークセンに6打差で最終組の30分前にスタートした。1番をバーディー発進したが、4、5番連続ボギーなどアウトはイーブン。「マークセンを追いかけるつもりもなかった。ハーフターンしても上位じゃなかったし、思うようなショットも打てていなかったし、もどかしかったですね」という。その時点ではまだ馬群の中。ところが、一昨年、昨年と3位になっているコースで、その中でもインでスコアを伸ばしてきている相性の良さがあった。10番で2・5メートル、11番で4メートルを入れた。「キャディーさんのおかげ。言われた通りのラインで打った」という。14番でも4メートルのスライスラインを決め、15番では50センチにつけた。この時点で通算6アンダーとして、スコアを落としてきたマークセンと並んで首位になってしまった。

 状況を知っての最終18番、2オンには成功したが左奥に切られたピンまで「30ヤードはあった」というイーグルトライは、打ちすぎてグリーンの外へ。寄せてやっとのパーと、首位に並んだままホールアウトした。まだホールを残すマークセンが有利と思っていたが、マークセンの自滅の形でそのまま初優勝をつかんだ。

 「プロになってホント、よかった。シニアでなったのも、タイミングもよかった」という。トップアマとして1994年日本オープンローアマなど数々のタイトルを獲得したが、プロになるつもりはなかった。広島の同郷の倉本昌弘と日本オープンで回った時に「いくら頑張っても勝てない」とプロはあきらめていた。しかし、40代半ばになって「ダメ出しされた倉本さんから、シニアツアーに来いと背中を押されて。周囲にも後押しされて、プロテストを受けなきゃならなくなってしまった」と、2013年に受験、49歳で合格した。シニアツアーに出るためのプロ入りだった。

話題の人となったが「そんな甘いものじゃないのはすぐ分かった」と、なかなかツアーでは勝てなかった。「でも、レギュラーの実績がない僕を先輩たちも気を遣ってくれて、温かく接してくれた。感謝しています」と、溶け込めたのが大きかった。最初は気合を入れて応援していた家族や周囲も「最近は気楽にやったらと言われていました。それで肩の力が抜けたのかもしれませんね」と笑う。

 「今回の優勝で、勝ち方が分かった訳ではないですけど、いいきっかけになって次もいいことがあるかもしれません」という。賞金ランクの4位に浮上した。海外のメジャー大会への出場資格を得られる圏内に入って「違うことも(海外)も出てくるので、あと3試合、何とか完走したい」と、目標もできた。

優勝副賞のベンツの話題になって困った顔をした。「そういえば、この大会は相性がいいので、女房から『ベンツ、獲ってきて』って言われていたんです。ベンツ、ありがたいけど、どうしよう。女房が乗るにはちょっと…ゆっくり考えます」。携帯電話はロッカーの中。表彰式などでまだ家族に優勝を伝えていなかった。初優勝の報告、家族の反応はどうだっただろうか。

(オフィシャルライター・赤坂厚)