今9月6日に50回目の誕生日を迎え、コマツオープンがシニアデビュー戦となった白潟英純が、4バーディー・3ボギー71で第1ラウンドをフィニッシュ。1アンダー・16位タイのスコアに「終盤はパットの悪い癖が出てしまって、うまくは行きませんね」と苦笑いした。
アウトコース2組スタートの白潟は、15番ホールを終了した時点で3アンダー。首位タイだったが、16、17番ホールで連続ボギーを叩き、1アンダーとなったのだった。
「16番ホールは3パット、17番ホールはパーオンを狙ったショットがフライヤーしてのボギー。精一杯のスコアですね。
しかし、それなりの手応えは得られました。早くシニアツアーの中に入りたいですよ。ピッカピカの新人ですから居場所が無くてね(笑)。
今日は20年前にツアーデビューした時に戻った感じでした。一新人になったみたいです。練習ラウンドでは何十年ぶりに再会した先輩プロもいて、お会いするたびにキャップ棒を取っては頭を下げっぱなしでした」
九州産業大学卒業後にプロを目指して研修生になり、92年にプロ転向。試合の場を求めてアジアンツアーにも参戦し、96年インドオープンで優勝。2000年から日本ツアーに本格参戦し、同年NST新潟オープンでツアー初優勝を挙げた。その後、シード落ちを喫したが、46歳で再シード入りした実績もある。
「今年はシニア入りが9月と決まっていたので、地元・九州のミニツアーや九州オープンなどに積極的に出場し、若手とラウンドして試合勘を取り戻していました」と白潟。九州オープンでは優勝スコアが通算15アンダーだったが、白潟は通算9アンダーをマークしたことで自信も取り戻していた。
「体力を着けるというわけには行きませんが、ドライバーの飛距離はレギュラーツアー時代のままというか、維持するように努めて来ました。むしろ、もっと飛ぶようになったと思っています」
「ドライバー飛距離目安は280ヤードです」と白潟はいうが、それは控え目の数字であって実際はもっと飛んでいる。
シニアツアー最終戦まで白潟が出場できる試合数は7試合。「シード権を取るのが最大の目標です。今後ともよろしくお願いします」と一礼し、白潟は雨の中、練習グリーンでパット練習を30分以上も続けた。その帰り際、呟いた。
「ホールアウト後に、こんなに練習したのは初めてですよ」。白潟の本気が伝わって来た。