昨年大会を制した室田淳のスコアは通算19アンダー。54ホール競技最少スコアタイだったこともあり、グリーン上の勝負=パット合戦の試合展開になると出場選手たちは予想していた。しかし、大会2日間終了時点での首位のスコアは通算10アンダー。昨年の優勝スコアに追いつくためには最終日、首位の選手で9アンダーのビッグスコアをマークしなければならない。それほどまでに昨年大会とは異なるコースセッティングだったのだ。
「通算12アンダーを目安に、通算13アンダーをマークしたなら優勝確定というコースセッティングにしました。これまでとは違ってカップ位置を振り、飛距離よりもポジショニング、ピンに対してどのサイドに着ければバーディーが取れるかを選手たちに考えさせるホールロケーションにしました」と平野浩作トーナメントディレクターは話していたのだ。第1ラウンドでベストスコア67をマークして首位タイに立った崎山武志には、2試合連続Vの期待が集まっていた。好調の滑り出しのように思えたが、崎山自身は一つの不安を抱えていたのだった。
「フェアウエイウッドだけが、どうも思うようなショットを打てていないんです。前の試合で優勝はできましたが、その試合でも不調気味だったので今大会では以前使っていたフェアウエイウッドを持ってきました。3番ウッドよりも古い5番ウッドの方が飛距離を稼げるくらい。フェアウエイウッドのクラブセッティングに悩んでいます」
第2ラウンドからは新旧の5番ウッドをキャディーバッグに入れ、“飛ばない”3番ウッドを抜いて試合に臨んだ。しかし、「ツーオンを狙いたいパー5で、飛ぶといっても所詮5番ウッドですから飛距離が知れている。ドローボールを意図的に打ってグリーンに届くかどうかでした」。その結果、第2ラウンドではパー5で一つもバーディーを獲れず、スコアを2つしか縮められず、首位とは3打差の通算7アンダー・5位タイに沈んだ。
昨年は年間4勝を挙げて賞金2位と大ブレーク。米シニアツアーの出場優先順位を争うファイナルQTにも挑んだ。しかし、思うような成績を残せずに終わっていた。それでも崎山は目標をブラさず、オフでも目標達成に向けて精進し続けて今年を迎えたのだ。
「これから2年で3億円を稼ぐんだぞ!」。それは練習仲間であり、コースラウンドも一緒に行うグループ、通称「雑草軍団」の先輩・室田淳からアドバイスだった。シニア入りして間もなくのことだった。
「具体的な数字もそうですが、その言葉の裏には1勝でも多く挙げて、近づけという意味が込められていると思ったのです。シニアツアーで15勝、4度もシニア賞金王に輝いている“キング・オブ・シニア”の室田さんから励ましの言葉を無駄にできません」。
室田は今大会の歴代優勝者。その名が刻まれている優勝カップに自分の名も刻みたい。その思いを強く持って臨んだ最終日。前半はパットが決まらず、スコアを一つも伸ばせなかったが、パットスタイルを変えずにバックナインに向かった。
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応援に駆けつけてくれた家族と一緒に、この瞬間を分かち合う[/caption]
10番ホールでバーディーパットがカップに沈むと、面白いようにパットが決まり出し、13番ホールからは4連続バーディーを奪取。通算12アンダーで迎えた最終18番パー5ホール。ドライバーショットでフェアウエイを捕え、2打目はグリーンまで残り251ヤード。飛ぶ5番ウッドを選択し、ドローボールを打てば届くと確信して打った。しかし、「当たりが悪くて」ツーオンを逃したが、3打目をカップ1・5メートルに寄せ、1パットで沈めて通算13アンダーにスコアを伸ばしたのだった。
「もう一度、米シニアツアーのファイナルQTに出場したいんです。マークセンも出場したいと話していましたが、シニア賞金王になればファイナルQT出場資格を得られる。その切符は1枚しかありませんから、誰にも譲りたくない。マークセンには(ファイナルQT)予選から挑戦してもらいますよ」と優勝インタビューで崎山は断言した。
年間2勝目を2試合連続優勝で決めた。その自信が、謙虚な崎山に言わせたのかもしれない。新キング・オブ・シニア誕生!誰にもそう感じさせる勝ち方だった。