昨年、56歳でプロテストに合格した小田(こだ)教久(57)が、PGA会員として初のシニアツアー出場となった今大会で、見事予選を突破した。
「シニアツアーに出るのが夢でしたので。出させてもらうだけで家族や周りの人に感謝です」という。この日は「奇跡的な」ラウンドだったと振り返った。
1オーバーでインからスタート。インは1オーバーで折り返し、通算2オーバー。予想される予選通過ラインに落ちてしまった。3番でボギーとして3オーバーになり万事休すかと思ったが、ここから奇跡的なプレーが始まる。5番ではバンカーに入れ、パーパットが6メートル残ったが、これを沈める。6番パー33も左バンカーに入れ、第2打は18メートルもオーバーしてカラーまで転がったが、これをパターで入れてパー。そして7番で第1打をバンカーに入れ、第2打で4メートルに。バーディーを奪って予選通過ラインに復帰した。「ゴルフって面白いなと思います」と笑った。
南米パラグアイで生まれ育った日系2世。両親とも日本人で名前も日本名、国籍も日本になる。16歳で米国に行き、カリフォルニア州立大ロサンゼルス校時代の20歳でゴルフを知った。その後、ティーチングプロとして活動し、44歳で日本に帰国。「50歳になったらシニアツアーにでたい」を目標にしたという。
東京・府中市にある義父が経営するアパートの一室に鳥かごを入れて、レッスンをしながらプロテストを目指した。2012年に初めてプレ予選から受けて最終で2打足りず。15年も最終で1打足りなかった。16年には腎臓がんがわかって部分切除の手術をして断念。今も右わき腹に16センチほどの手術跡が残る。そして昨年、28位で見事合格を果たした。今年のシニアツアーの最終予選会では82位に終わったが、今大会へは「ウェイティングの17番目だったんですけど、奇跡的に出場できました」と、ツアーデビューを飾ることができた。
「実は、予選で一緒に回った吉川弘起プロは私がゴルフを始めたころに米国で出会って、神様みたいにうまい人だったんです。先に帰国してプロテストに合格したのは知っていましたが、会ったことがなかった。今回、日本で久しぶりに会って、同じ組で回るのも、同じスコアで予選通過するのも奇遇なんです」と話した。
いろいろな「奇跡」がもたらした、夢のシニアツアー出場での予選通過。しかも公式戦だ。「後悔しないように、あきらめなければ実現できると思います。残り2日間、何もなくすものがありませんので、楽しく自分なりのゴルフをしたい」と目を輝かせた。どんなゴルフで?「私の場合は『振り切る』ことです」。残り2日間、目いっぱい振り切っていきたい。
(オフィシャルライター・赤坂厚)