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【News/FR】日本大好き! タイ出身タマヌーン・スリロットがシニアツアー初出場で公式戦V

2023年10月08日

「日本プロゴルフシニア選手権大会 住友商事・サミットカップ」の最終ラウンド。首位タイスタートのタマヌーン・スリロット(54)がスコアを2つ伸ばして通算10アンダーとし、シニア初出場で初優勝。賞金1000万円とシニアツアー3年間のシードを獲得。1打差2位には山添昌良(55)、3位に宮本勝昌(51)が入った。 

スタート時は、首位タイの8アンダーから3ストロークの間に11人がひしめき合う団子状態。この日はラフが長くてグリーンが速い上、ピン位置が難しく、風もある状況。我慢比べの展開となった。

 ボギーを打った選手がひとり、またひとりと脱落していく中、終盤まで優勝戦線に踏みとどまったのはスリロット、山添昌良、宮本勝昌。単独首位だったスリロットが16番でボギーを打ったことで、3人が8アンダーで並び、勝負の行方は最後の2ホールの結果次第になった。

 先にホールアウトした宮本は、17番、18番をパーとして、8アンダーで2人を待つ。最終組のひとつ前でプレーした山添は、18番でバーディを奪って9アンダーでホールアウト。この時点で宮本の優勝は消え、スリロットと山添の2人が残る。

「17番はカギになるホールだと思っていた」というスリロットは、ティショットでフェアウェイをキープし、残り110ヤードを50度のウェッジでピンそばにピタリ。9アンダーにスコアを伸ばす。最終ホールのパー5では、2オンを狙ったショットがバンカーにつかまったが、2.5メートルに寄せ、このバーディパットを沈めて勝負あり。スリロットの勝利が確定した。

 ウィニングパットがカップに吸い込まれる瞬間、パターをポーンと手放して胸の前で合掌してお辞儀。タイの伝統的挨拶「ワイ」をした。ホールアウト後にその理由を訊ねると、「本当に? 全く覚えていません。ギャラリーの方や関係者、今まで支えてくれた人たちに感謝したかったのだと思います」と、スリロットは顔をくしゃくしゃにしながら答えた。

 自分の仕草を覚えていないくらい興奮していたのは、彼には絶対に勝ちたい理由があったからだ。

 2020年にPGAトーナメントプレーヤー資格を獲得して入会したが、新型コロナの影響で来日が困難に。昨年12月にようやく日本に来ることができ、1次予選会、そして挑んだ最終予選会は56位。今シーズンのシニアツアーになかなか出場できないランキングだ。ようやく出場優先順位が降りてきたのが本大会だった。

 今年は、他に出場できる大会はなく、唯一の方法は今回の「日本プロゴルフシニア選手権」で優勝し、3年のシード権を勝ち取ることだけだったのだ。

 スリロットには、悲願達成のための秘策があった。奥さんのタナポーンさんを帯同キャディにすることだ。

「タイでのある試合の期間中、彼女に運転手をしてもらったんです。すると、その試合で優勝することができた。彼女は私の勝利の女神。だから今回も彼女と一緒に戦いました」。

 ただタナポーンさんはゴルフを始めてまだ日が浅く、ラインを読んだり、風を見ることはできないそうだ。

「一緒にいてくれるだけでいいんです。勝利の女神ですから」とプラポーンは白い歯をこぼした。

 2人が出会ったのは25年前。当時、タイのゴルフメディアで働いていたタナポーンさんにスリロットがひと目惚れしたそうだ。その後、2年の交際を経てゴールイン。現在、プラポーンさんはタイのリゾート地・パタヤにあるサイアムカントリークラブ・ウォーターサイドコース内のカフェを運営しているが、夫の悲願を達成のため今回は一緒に日本にやってきたのだ。

 ところで、スリロットは現在タイのレギュラーツアーやシニアツアーに参戦し、母国では十分試合に出場できる立場だ。ではなぜ、日本のシニアツアーにチャレンジしたのだろうか。

「それは日本が大好きだから。私は20年くらい前、日本の男子ツアーでプレーしていました。当時から日本の環境の良さ、日本人の優しさに惹かれ、また日本でプレーしたいと思っていたんです」。

 日本ツアーの戦績は、レギュラーツアーの優勝はなく、2003年の下部ツアー1勝のみ。しかしレギュラーツアーのシード選手として活躍した2004年は、トップ10入りが4回あり、平均パット1位を獲得している。ちなみに、この年はアジアンツアーでもパッティング部門で1位に輝いたほどのパットの名手だ。

「日本はお米が美味しいです。ウナギも大好き。昨日も食べました。オイシイ!」とタナポーン。

 3年シードを勝ち取った今後の目標は、「年間3、4勝すること。賞金王も狙いたい」と宣言した。シニアツアー賞金王に輝いた経験があるプラヤド・マークセンやタワン・ウィラチャンは、小さい頃からゴルフをしてきた先輩で、タイのナショナルチームでともにプレーした経験もある。タイ勢3人目の賞金王が誕生する日は、そう遠くない未来に訪れるかもしれない。