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日本プロ

<7/7 FR>第87代目プロ日本一のタイトルを手に快哉を叫んだ石川遼

2019年07月07日
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 石川遼が、開聞岳の麓で、快哉を叫んだ--。

 黄重坤とともに通算13アンダーで72ホール目をホールアウトした石川は、スコアカードを提出すると、18番パー5ホールのグリーン花道に用意されたカートに乗り、18番ティーへ向かった。

 プロ日本一を決める日本プロゴルフ選手権は、昨年大会に続いて、プレーオフ決戦となった。

 4年前の2015年。カシオワールドオープンで石川は最終日単独首位スタートだったが、黄に逆転負けを喫している。「(黄)重坤はショットが曲がらない。2打目が同じ条件なら勝てないかも知れない」と石川はプレーオフ1ホール目のティーショットを打つ前にそう思ったという。

 ドライバーショットでアドバンテージを取るしかない。黄よりも飛距離が出る分だけ、ラフに捕まったり、フェアウエイ右サイドのペナルティーエリアに打ち込んだりする危険性もある。しかし、これまで練習して来た成果をこの勝負の場面で発揮するしかない。むしろ、そのために何千球、何万球ものボールを打ち、ドライバーを振って来たのだ。ミクロ単位で積み重ねて来た自信を緊張する場面でさらに深めるチャンスにもなる。成功体験を増やして行きたい。不安が無かったわけでないし、緊張感に襲われてもいた。

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 それでも石川はドローボールでフェアウエイを捕らえるショットイメージを持って、フェアウエイ右サイド方向へアドレスを取った。無心のスイング。練習に練習を積み重ねて来たことによって「気持ち良くスイングした中にボールがある感覚」で打てた。

 だが、フェアウエイ右サイドのカート道方向へ飛んで行った。右に跳ねたなら大ピンチとなる。ボールは、ラッキーキックで左へ跳ね、前方のフェアウエイ中央へと転がり出たのだった。

「(本戦72ホール目のティーショットよりも)40ヤードは前にありました。2打目はピンまで200ヤード。風向きはアゲンスト。」5番アイアンで打ちました」。グリーンをキャッチし、ボールはピン奥4メートルに止まった。イーグルチャンス。

 黄はツーオンしたものの、グリーンの右に乗っただけで、ピンまでは10メートル以上もあるイーグルパットはカップ1メートルに寄せるに留まった。

 4メートルのパットをねじ込んだなら、それがウイニングパットになる石川のイーグルパット。「今まで一番興奮したかも知れません」--。

 最終日第3、第4ラウンドを一日36ホールで行う長丁場となった。その第3ラウンドを通算10アンダー・首位タイでスタートした石川はバーディー2つを先行させたものの、4番パー3ホールのボギーでつまずくと、5番パー5、6番パー3ホールで連続ダブルボギーを叩き、首位争いから大きく後退した。一時は首位と7打差も開いてしまったのだった。速報版が目に入った。「こんなに酷い流れで、あと20ホールもプレーするのか。落ちるところまで落ちるかも知れない」思いが頭をかすめる。気持ちのモチベーションが落ちかけた時に客観視する自分がいた。「流れの悪さが原因ではない。ボギーもダブルボギーも、良いショットを打っていないからだ。昨日も一昨日も、先週だって良いショットは打てていた。スイングを、ショットを取り戻したなら」の志向が働いた。2ホールを掛けて修正に成功し、石川は上がり3ホール連続バーディーで息を吹き返し、第3ラウンドを1オーバー71にまとめ上げ、首位と4打差の6位タイで終えていた。

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 組み替えなしで第4ラウンドをスタート。最終組同組の黄は相変わらず安定したプレーを続けてはいたが、スコアを伸ばせずにいた。さらには「まったく隙を見せない重坤でしたが、パー3ホールでショートしていたので、まだ(追いつく)チャンスがあるかも知れない」と石川は感じていた。

 この日35ホール目となる17番パー3ホール。黄のティーショット。一旦はグリーン上に止まりかけたように見えたが、ボールはコロコロと左手前方向へ転がり出し、そして波紋を描いた。ボギーパットを外し、痛恨のダブルボギー。このホールをパーとした石川と首位に並ぶ結果となったのだった。本戦の36ホール目は互いにバーディーフィニッシュとしてのプレーオフ決戦。その1ホール目に石川が逆転優勝のチャンスを引き寄せたのだった。

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「今までは自分が読んだパットラインを信じて打ったことがあまりありませんでしたが、今回だけは信じて打ちました」。

 スムーズに転がり始めたボールはカップ手前で読み通りに曲がり始め、カップの中へと消えた。石川は両手を高々と挙げて万歳し、そして右手拳を突き上げ、最後は両拳を握りしめて何度も何度も快哉を叫んだのだった。ツアー通算15勝目を日本最古のプロゴルフトーナメント「日本プロゴルフ選手権」で飾ったのだ。

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「日本プロで勝つ日がこんなに早く来るとは…」。自分を支え、サポートし続けて来てくれたスタッフたちの姿を目にした瞬間、石川の目から大粒の涙が溢れ出した。

 タフでなければ心身ともに強くなければ勝ち取れない第87代目の、プロ日本一の称号をついに手にした瞬間、開聞岳に石川の歓喜の声が木霊したのだった。

(PGAオフィシャルライター 伝昌夫)

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