スタート2ホール目で3メートルのバーディーパットが決まった。気持ち良く迎えた3番パー3ホール。ピンまで164ヤード、7番アイアンでのティーショットは会心の当たりだった。グリーン周りのギャラリーから歓声が上がる。ホールイン・ワン。一気にスコアを2打伸ばし、3アンダー。「(インパクトの)手応えは良かったんですが、ボールがカップインするところがちょうど見えなくて。ギャラリーの歓声で入ったことがわかりました。これまでツアー(選手時代)では7回ありましたけど、シニアでは初めてです」。
芹澤はその後も6、9、11番ホールでバーディーパットをねじ込み、6アンダー単独首位に立った。16番ホールでボギーを叩いたものの5アンダー・67にスコアをまとめてホールアウト。「シニア入りして首位に立ったのは優勝した(2010年)富士フイルムかな。あとは無いんじゃない?」。あっけらかんと応える芹澤。厳密に言うなら、大会2日目に首位タイとなり、最終日に逃げ切る形でシニア初優勝を飾った一戦だ。シニアツアー競技ではないが、今年5月の日本プロゴルフグランドシニア選手権の初日に単独首位に立った実績は残している。
「6アンダーだったらトップかな?とも思いましたが、他の選手のスコアがあまり伸びていませんでしたね。僕が単独首位だなんて、そんな次元のゴルフではありませんでしたよ」と謙虚な芹澤。前半アウトコースではパーオンしたホールが4ホール。うち1ホールがホールイン・ワン。残り3ホールはすべてバーディーという内容。「たまたまバーディーが取れただけで、(ゴルフの内容自体は)結構ひどかったんですから。とにかく1日に2回はドライバーショットを左へ極端に引っ掛けてしまうんです(苦笑)」。
6年前に変形股関節症を患い、昨年の夏過ぎに股関節手術を決断し、ゴルフから遠ざかる期間が長かった。今年に入ってからようやく歩いてラウンドができるまで体調は回復したものの、長丁場が続くと縫合跡に張りが出てしまう。「日本グランドシニアでは、(優勝を)意識し、その気になって失敗(結果は4打差6位)に終わった経験をしていますからね。今はまだ優勝を狙えるゴルフ(内容)ではありません。でも、優勝を争いができるのは嬉しいことです。僕が頑張れば(芹澤グループの)後輩たちに刺激を与えられるし、波及効果もあると思う。緊張感の中、自分のゴルフに徹するだけです。優勝のプレッシャーなんかありませんよ」。
ゴルフも体もまだ不満足だが、希望の灯を灯したい思いは強い。
「僕の活躍によって人工関節が認知され、一般ゴルファーも手術をしようと踏み切るきっかけになってもらえたなら嬉しいです。僕はジャック・ニクラウスも、トム・ワトソンは40代の時に股関節手術を受けていたことを知ったのが決断理由の一つでした。ツアーでもう一度プレーしたい思いがあったことで僕は踏み切ったのです。こうして試合でプレーできているだけで幸せを感じています」
芹澤は感謝の気持ちに浸りながら、一打一打を楽しみながらプレーしていると明かした。だから、予期しないミスショットが飛び出しても動じない。「最終日最終組でプレーできるなんてツアープロ冥利に尽きます」。と、言いながらも、この日、顔を出した左引っ掛けのドライバーショット修正のために、ドライビングレンジで打ち込む姿があった。勝負師・芹澤がシニアツアーに戻って来た。
(PGAオフィシャルライター 伝昌夫)