来年4月で還暦を迎える奥田靖己は、一念発起して今年7月に渡英し、全英シニアオープンのマンデートーナメントに挑んだ。これまで同トーナメントに挑戦したのは計5回。一昨年の17年はプレーオフにまで残ったものの、寸でのところで本戦出場権を逃した苦い経験がある。
「海老原さんから『60歳になったら不思議と元気が沸き上がって来る』と言われたこともあり、もう一度リンクスで戦ってみたいという思いが強まったので再挑戦を決断しました。あれっ、再々挑戦か」と奥田。マンデー戦績を紐解くと11、12、13、15年はマンデー通過を果たして本戦出場を果たしている。
「今回はカミさんに初めてキャディーをしてもらいました。最初で最後の帯同キャディーです。電動キャリーカートでしたからクラブを運ぶだけで、ボールは2回くらいしか拭いてもらってないですよ(笑)」。カミさん孝行を兼ねての渡英ながら、17年のプレーオフ雪辱を晴らした。
「スタート前にスコアチェックしたら、45や47なんてスコアがズラリと並んでいる。それくらいのスコアになって当然の風、台風並みの風がコースを吹き荒れていたんですよ。風向きによってドライバーショットが330ヤードも飛べば、アゲンストでは220ヤードしか飛ばない。風が厳しく、地面は硬い。これぞリンクスという洗礼を受けましたよ」と言って奥田は笑みをこぼした。フック、スライスの球筋、弾道の高低を自在に打ち分けることを得意にしている奥田にとっては、自分の技量を推し量るのに最高の舞台だったからだろう。1オーバーが合格ラインとされた中、前半は3オーバーで凌ぎ、風が少し弱まった後半は4アンダーのスコアをマーク。1アンダーで回り切り、本戦切符を手にしたのだ。
「自分のゴルフをするのではなく、コースと調和、融和することが大切。コースと戦ってはいけないことを改めて知りました」。本戦では日本人選手として唯一予選通過を果たし、42位タイの成績を残したのだった。
大会後にはリバプールへ足を運び、ビートルズミュージアムを楽しんだという。
自身にとって帰国1戦目となる今大会は気持ちが高ぶる。「大会に携わっている人誰もが盛り上げようと一生懸命でしょ。ギャラリーの声援も熱い。伝統と歴史がある。選手にとって舞台は出来上がっているから、最高のプレーをして恩返しして当然になりますよね。何としても最終日の表彰式でマイクを前にして言いたい。センキュー!ってね」。
全英女子オープン覇者の渋野日向子の優勝スピーチでの締めの言葉。奥田は優勝を意識して、ファンケルクラシックのスタートティーに臨む。ビートルズのノーホエア・マンを口ずさみながら--。
(PGAオフィシャルライター 伝 昌夫)