NEWS
シニアツアー

<金秀シニア・FR>手嶋多一が逆転優勝 デビュー戦を制す

2019年04月13日

 金秀シニア 沖縄オープンゴルフトーナメントの大会舞台である「かねひで喜瀬カントリークラブ」。ホームページのコース紹介コーナーには、大会の最終18番ホール・パー5は次のように記されている。

「林に囲まれた軽い打ち上げのパー5。『左サイドの木々を避けた正確なショット』が要求される。グリーンは奥行きがあり2段になっているため、ピンの位置に注意し距離感を大切に」と――。

 大会初日、ベストスコア66をマークして6アンダー単独首位に立った倉本昌弘。シニアデビューの手嶋多一が1打差2位に着け、シニア入り3年目ながら未勝利の河村雅之がさらに1打差3位追う大会最終日。3人は最終組でスタートティーに上がった。

 1番パー4ホールで手嶋が1・5メートルのバーディーパットを確実に決め、首位の倉本に並ぶ。3番パー3ホールで8メートル、4番パー4ホールでは7メートルを沈めて独走態勢に入る。5番パー5ホールはパーに収めたが、河村と倉本がバーディーを奪うと、6番パー4ホールで手嶋がグリーンエッジからカップインさせるのに3打を費やし、倉本に並ばれる。追う河村は8番パー3ホールでバーディーパットを入れ、1打差に迫る。前半終了時点で通算7アンダーの手嶋と倉本が首位に並び、通算6アンダーの河村が単独3位。優勝争いは最終組のこの3人に絞られた。

 残り9ホール。11番パー4ホールで河村が一打縮めたことで首位に3人が並ぶ。12番パー5ホールで共にバーディーを奪い、通算8アンダーにスコアを伸ばす。三つ巴状態から抜け出したのは河村だった。11番ホールからの3連続バーディー奪取で通算9アンダーにし、ついに単独首位に立つ。倉本はボギーを叩き、2打差の3位に後退。さらに16番パー4ホールで河村が2打目をOKバーディーの距離に着け、2位の手嶋との差を2打に広げたのだった。残り2ホール。

 迎えた17番ホールは亜熱帯特有の植物に囲まれた打ち下ろしのパー3。平均ストローク3.539。難易度3番目のホール。風速2・5m/s。

 河村はバーディー奪取の勢いに乗ってティーショットに臨みたかったが、時間を要した。2組待ち。難ホールだけあって20分は待たされたのだ。

 帯同キャディーを務める妻・寛子はシニア初優勝を目前にした河村に、それを感じさせないようゴルフ以外の話をし続けたという。「気長な性格ではありませんし、待つのが苦手なタイプなので」。オナーの河村は前の組がホールアウトするのを待ちかねたように寛子に尋ねた。「風向きは?」。「左からのフォロー。ピン位置は手前から20ヤード、右サイドから7ヤードだから、左サイドに乗せさえすればOKよ」。河村は7番アイアンで距離を抑えて打つことを決断した。だが、インパクトをつい緩めてしまう。イメージしたグリーン左サイドではなく、ボールはグリーン右手前のバンカーに吸い込まれた。

 手嶋も同じく7番アイアンを選択し、グリーン右サイドのピンに向かってボールを打ち出す。イメージ通りの弧を描いたボールはピン奥1・5メートルに止まった。バーディーチャンス。打ち出し方向は同じでも、結果は天国と地獄ほどの差があった。手嶋はドローヒッター、一方、河村はフェードヒッター。相反する持ち球が、バーディーパットとバンカーショットという明暗を分けたのだった。

 バンカーに足を踏み入れ、ショットをイメージする。手嶋がベタピンに着けたことで、パーセーブ圏内には寄せたい意識が強まる。「(ティーショットとは反対に)今度はインパクトを必要以上に強めてしまいました」と河村は振り返った。ピンを大きくオーバーし、パーパットは外れた。手嶋がバーディーパットを沈めたことで、2打差はなくなり、最終18番ホールを首位タイで迎えたのだった。

 手嶋は1打目をフェアウエイに運び、2打目はグリーン右手前の50ヤードのラフに捕まった。河村は珍しく左方向へドライバーショットを打った。「ボールが捕まり過ぎました」。優勝争いでのアドレナリン効果。ボール位置にたどり着くと、思わずため息が出た。フェードヒッターの河村にとってショットライン上の『左サイドの木々』がスタイミーと化した。「フックボールは苦手だし、たとえ当たってもグリーンに近づけるはずだ」。そう判断し、ピンまで残り220ヤードの距離を5番ウッドで打った。ボールは120ヤード先の木に当たり、落ちた。100ヤードの距離しか稼げなかった。ボールが芝に沈んだライからの3打目はグリーンを捕らえられず、寄せはグリーンをオーバーしてバンカーへ。結局ボギーでホールアウト。通算8アンダー2位に後退したのだった。

「河村さんの2打目が前方の木に当たって、残念な結果になってしまって…。最終ホールは緩い左ドッグレッグだったので、ドローヒッターの僕には有利かなとは少し思いましたけど」。手嶋は決して「勝った」とは終始、一言も口にしなかった。

 3打目が右ラフに止まったことで、受けグリーンに対してランを使って乗せることができたのも手嶋にとっては幸運だったのかも知れない。

 最終ホールでパーをセーブした手嶋が、シニアデビュー戦で逆転優勝を飾った。

「16番ホールを終えた時点では、河村さんが優勝する雰囲気でした。それが、こんな結果になるなんて…。実は河村さんがまだシニア優勝をしていなかったとは知らかったんです」と恐縮しきり。発する言葉を選びながら、優勝した喜びを抑えているのが、気遣いの人・手嶋らしかった。

 今季はシード権を行使せず、主催者推薦での出場できる参戦の道を選択した。「お願いを受け入れた下さったお陰での出場で、優勝するなんて気が引けます」。

 この優勝で来季までの出場資格を獲得。推薦出場を願う必要はなくなった。今後はレギュラーツアーを主戦場とするが、オープンウイークにシニア参戦していく意向で、次の試合は6月の

スターツシニアを予定している

。海外シニアでは全米プロシニア選手権に出場する。「チャンピオンズツアーの選手たちが大勢出場する試合なので、どんな雰囲気なのかちょっと見て置きたくて」と手嶋はニタリと笑った。

 米国ゴルフ留学後の1993年にプロ転向。英会話に不自由はない。プロ初優勝は99年のファンケル沖縄オープン。そしてシニア初優勝も沖縄開催の金秀シニア。沖縄によほど縁があるのか。「ゴルフを覚えた九州(福岡県出身)は高麗芝でしたし、それに似た(開催コースの)芝質バミューダ系も好きなので」。

 芝質に恵まれ、勝負ホールとなった17番ホールのピン位置も、最終18番のホールデザインも、手嶋を後押ししたように思えてくる。

 13年大会で崎山武志が打ち立てたシニアデビュー戦Vに次ぐ「初V」を記録して、手嶋はシニア開幕戦を締めくくったのだった。

(PGAオフィシャルライター 伝 昌夫)