今季シニアツアー9戦目「
コマツオープン2021
」最終ラウンド。首位スタートの井戸木鴻樹と清水洋一が優勝争いを繰り広げ、16番ホールでバンカーからチップインバーディーを決めた井戸木が3連続バーディで清水を突き放し65をマーク、通算17アンダーで優勝。今季ISPSハンダ楽しく面白いシニアに続き2勝目、シニア通算3勝目を挙げ、井戸木が最新の賞金ランキング1位の座を奪った。
2013年の全米プロシニア覇者である井戸木鴻樹が、試合巧者ぶりを存分に発揮して今季2勝目を飾った。
通算10アンダーで迎えた最終日。シニアツアー初優勝を目指す清水洋一と首位の座を分け合い、最終組からスタートした。昨夜から降っていた雨は、午前8時前には上がり、太陽の日差しがコースを照らし始める。1番パー4ホールで清水が1.5メートルのバーディーパットを沈めて、単独首位に立った。2、3番ホールでもバーディーパットをねじ込む。井戸木も負けじと2番ホールで5メートルのバーディーパットを決めたが、3番ホール終了時点で清水に先を走られ、2打差を着けられた。それでも井戸木には試合全体の流れを読む余裕があった。首位を独走し始めた清水だが、前組の選手に中にはもっとスコアを伸ばし、ビッグスコアを出している選手がいるかも知れない。「きっと大混戦に違いない。焦ることはない」「自分のプレーに徹したなら必ず首位を捕らえられる」と考えていたのだった。
5番パー5ホール。清水は1メートル、井戸木は5メートルのバーディーパットを迎える。互いにねじ込む。6番パー4ホールでは、井戸木が2メートルのバーディーチャンスを作り上げ、ファーストパットをきっちりと沈め、1打差に詰め寄る。
迎えた9番パー4ホール。ティーグラウンドを取り囲む生垣には白い花が、眩しい日差しを受け、輝いている。無観客試合で行われている静寂さを、少しでも華やかにしようと咲きほころんでいるようだった。
「耐えて、忍んでいれば、絶対に流れは自分に向き始める。逆転チャンスがやって来る」。井戸木はショットの合間、合間に言い聞かせていた。清水が、ついに躓いた。ティーショットをフェアウエイ左ラフに打ち込み、寄せワンでのパーセーブが出来ず、ボギーとしたのだ。前半9ホールを終え、井戸木と清水は通算13アンダーで首位に並び、「サタデーバックナイン」に向かったのだった。
清水のショットはホールを重ねるごとに精度を落とし始める。それでも11、15番ホールでバーディーを奪い、通算15アンダーにして再び単独首位に立ってみせた。「また、捕まえてみせる。勝ってみせる」。
勝利への執念は井戸木の方が勝っていたのかも知れない。年間2勝達成を手土産に米シニアメジャー大会に出場する! その思いは今年7月のISPS HANDA楽しく面白いシニアトーナメントをホストプロとして優勝した時から抱き始めていたのだった。「1勝したくらいでは、フロック優勝といわれても仕方ない。でも、2勝したなら実力の証になる」。全米シニアオープン、全米プロシニアオープンの大舞台で再びプレーしたい熱い思いが、井戸木のモチベーションをさらに高めていた。
16番パー3ホール。オナーの清水がカップオーバーながらもグリーンをキャッチする。続いてティーショットを井戸木は放った。ボールはグリーン手前のバンカーに捕まった。井戸木の2打目のバンカーショットはピンまで距離20ヤード。グリーンエッジからは下り傾斜。ピンに寄せるには繊細なタッチが必要だった。「キャリー12ヤードのショットを打ち、あとは傾斜を利用して転がし寄せれば…」と井戸木はショットイメージを作り上げ、そしてサンドウエッジを振り抜いた。ボールは思い描いたとおりの弧を描き、落下後は傾斜を転がり始め、そしてカップに消えた。チップイン・バーディー。
井戸木の巧みなショットと、バーディー奪取で首位に並ばれた清水は、10メートルのバーディー「チャンス」が、入れなければの「ピンチ」と化し、最悪結果の3パットにしたのだった。井戸木は、ついに首位を捕まえ、そして逆転した。通算15アンダー単独首位。続く17番パー4ホールで2メートル、最終18番パー5ホールでも2メートルのバーディーパットをカップインさせて念願の年間2勝目を飾ったのだった。
「これで胸を張って渡米し、選手たちと顔を合わせられますね。コロナ禍で行けるかどうかは定かではありませんけど…」。
井戸木はこの2勝目によって賞金ランキング1位の座に就いた。「来週から日本シニアのメジャー大会が2戦続きますし、自信につながります。シニア賞金王か……いいですね、その響き」。米シニア再挑戦に加え、シニア賞金王タイトル奪取への道を一気に切り開いた。粘り強さ、勝負強さ、したたかさを備えた試合巧者・井戸木がシニアツアー後半戦の主役にも躍り出た。
--9番ティー生垣に咲いていた白い花の名はムクゲ。花言葉は忍耐。井戸木の白色ウエアは「耐え忍ぶ」を意味していたようだ。
(PGAオフィシャルライター 伝昌夫)