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シニアツアー

〔いわさき白露シニア/FR〕3度目の正直でストップ・ザ・マークセン! 「シードが目標」の渡部光洋が26年ぶりV

2022年11月27日

 今季シニアツアー最終戦「

第10回いわさき白露シニアゴルフトーナメント

」の最終ラウンド。首位2打差でスタートした飯島宏明(51)と渡部光洋(50)が69ストロークで回り通算11アンダーでプレーオフへ。1ホール目飯島がボギー、渡部がパーで、渡部がシニア初優勝を飾った。

 70センチのウイニングパットを沈めるとキャップを取って一礼。あまりに優勝者らしくないアクションだった。今季のシニアツアー最終戦「いわさき白露シニアゴルフトーナメント」は、予選会10位から這い上がってきた京都府出身のルーキー、渡部光洋(わたなべ・みつひろ)が制した。



 今大会の渡部の最大目標はシード権を取ることだった。出場義務試合数に足りない谷口徹と手嶋多一の2人を除く、賞金ランキング32位以内なら来季の出場権が得られるが、渡部はこの最終戦を30位で迎えた。33位の選手との差はわずかに約25万円差。下位に沈めば、再び最終予選会に行かなければならない位置だった。



 ところがフタを開けてみれば、2日間を終えてトップと2打差の4位。シニアツアー初優勝も見える位置で最終日を迎えた。「前もあったんですけど、そのときは自爆して、それからちょっとだけ賢くなったと思うので、静かに頑張ります」と、2日目を終えて、控えめで腰の低い渡部はそう話していた。


 10月の「トラストグループカップ 佐世保シニアオープン」では、初日を「65」の首位タイでスタートしながら、最終日最終組で「80」を打って36位タイに沈んだ。その悔しさはいまも胸に残っている。その翌週の「ISPS HANDA・やっぱり面白いシニアトーナメント」では、2日目と最終日に「67」を並べ、自己最高の2位に入った。『ちょっとだけ賢くなった』渡部がそこにはいた。



 きょうは、最終組の1つ前で9時50分スタートだったが、その2時間前には練習場に姿を現した。これについては、「いつも早いんですよ。堤さんと一緒に来ているので、アプローチやってボーっとしていました」と話す。堤隆志の9時5分のスタートに合わせて早く来ていたのだ。渡部と堤に13年の「全米プロシニア」に優勝した井戸木鴻樹と、レギュラーツアー通算20勝の中村通を加えた関西出身のメンバーで、いつも一緒に練習ラウンドを行う仲。さらに、井戸木は同じ小野東洋ゴルフ倶楽部の所属で、よき相談相手でもある。



 3度目の優勝争いは「シード…シード…とブツブツ言いながら、バクバクしていました」と緊張のなかでスタート。いつもは安定しているドライバーが「曲がり倒して」と、耐えながらのプレーとなったが、2メートル前後のパーパットをしぶとく沈め、8番パー5でバーディを先行させ「落ち着けました」と振り返る。


 9アンダーで折り返したとき、7連勝がかかるプラヤド・マークセンがトータル11アンダーまで伸ばして、単独トップに立っていた。すると10番でピンチが訪れる。セカンドショットでグリーンを外して、アプローチもミス。エッジから6メートルのパーパットが残った。これを沈めると一気に波に乗った。


 11番では6メートル、12番では8メートル、13番パー5では7メートルから2パット、14番では3メートルを沈めて4連続バーディ。一気にトータル13アンダーまで伸ばしてトップに躍り出た。しかし、コースにリーダーボードがないため、「マークセンがターンしたときに11アンダーだったので、どうなんやろな?」と自分がトップに立ったことには気づかなかった。



 しかし続く15、16番で連続ボギーとして、トータル11アンダーに後退。最終18番パー5のティイングエリアに立ったときには、同じトータル11アンダーで同組の飯島宏明と並んでいた。「ティショットを打つ前に待ちがあって、飯島さんが確認したら僕ら2人がトップだった」とようやく自分の位置を確認。その途端、「トップと聞いて動けなかった」と2人で仲良く林に曲げた。これには「途中にボードがなくて良かった。知っていたら、このスコアで18番に来れなかった」と渡部は真剣にいう。


 結局、渡部と飯島がトータル11アンダーでホールアウト。最終組も追いつけなかったため、3大会連続のプレーオフに突入。再び18番のティイングエリアに戻ってきた。



 ティショットはともにフェアウェイをとらえると、先にセカンドショットを打った飯島がまさかのチョロ。渡部が有利になったように見えたが「僕も続きそうな気がした」と、いっそう気を引き締める。「中途半端はミスすると思って、思い切り振りました」という勝負の2打目は、きれいな放物線を描いてグリーンに向かっていったが、わずかに足りずにグリーン左手前のアゴの高いガードバンカーに吸い込まれた。飯島の右ラフからの3打目は、グリーン右のバンカーへ入り、しかも目玉になった。依然として渡部の有利は変わらない。



 しかし、18番のこのバンカーは「練習ラウンドでも打っていなくて、初めて打ちました。あんなにアゴが高いとは。もう一回バンカーに入るのが嫌なので、高さを出そうと思ったら、思いっ切りダフりました」と、バンカーからは脱出できたものの、グリーンまでは届かずラフに止まってしまった。これで勝負の行方はわからなくなった。



 飯島はバンカーの目玉だったため、グリーンに乗せるのがやっと。段の下から上り10メートル以上のパーパットが残った。対する渡部は、4打目のアプローチをピン奥70センチに寄せる。飯島の長いパーパットは入りそうになりもわずかに外れボギー。渡部が70センチを沈めれば優勝という場面が訪れた。そして、ギャラリーが静かに見守るなかで、しっかり決めきって大きな拍手を浴びた。



 大きなガッツポーズも雄叫びも涙もなく、いつものどこかのホールと変わらないプレー。そう見えたが、優勝会見では「アプローチはどうやって打ったか覚えてないし、最後のパットも正直覚えてない。スライスしたと思うんですけど気づいていたら入っていました。そんなのは初めての経験ですね。えらいことやったんやなと」。まるで人ごとのように振り返る。優勝の喜びよりも「いまからどうしたらいいのかなと思って、段取りがあるだろうから、そういう心配をしています」と何だか微笑ましい。



 京都出身の渡部は、平安高校ではレギュラーツアーで通算6勝を挙げた平塚哲二と同級生。そして近畿大学ゴルフ部ではレギュラーツアー1勝の桧垣繁正と同期で戦ってきた。大学を出たあと、1度目のプロテストは失敗し、1995年に2度目の挑戦で合格。その年は最終予選まで勝ち進み、翌96年の下部ツアー「西野カップインセントラル」で優勝。今回はそれ以来となる26年ぶりの優勝だった。



 毎年のようにレギュラーツアーのQTに挑戦したものの、ついに出場権を得ることは叶わなかった。97年には4つ年上の勝代さんと結婚。渡部を陰ながら支え続けてきた。「かあちゃんはゴルフのことは知らんし、『どないなってんの?』みたいに家に帰ったらゴルフのことは一切言わない。僕としてはありがたかったです」と感謝する。



 ツアーでは稼げず、28歳で一度はゴルフから離れた。釣り針の出荷作業を何年かしたあと、再びゴルフの世界に戻ってきた。「知り合ったお客さんの紹介で」やしろ東条ゴルフクラブの所属プロに。「レッスンに来てくれて悪いときに助けてくれたお客さんに感謝です」と御礼を言いたい人はたくさんいる。そして昨年、知人の紹介で小野東洋ゴルフ倶楽部に所属が変わり、シニアプロとしての人生が新たに幕を開けた。



 来年はツアー優勝経験者として新たなシーズンを迎える。「優勝できると思っていなかったので、正直まだ何も考えてないです。かえってどうしようかなってくらいで」。マークセンの7連勝を止めた男は、最後まで優勝したことに戸惑っていた。