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シニアツアー

【すまいーだカップシニア/前日】8年ぶりのツアー舞台へ!ラ・ボンバ今井克宗がシニアデビュー

2022年06月01日

 2014年の「日本プロゴルフ選手権」で競技から“引退”した男が、シニアの舞台に帰ってきた。明るいキャラクター、酒豪、破天荒さからスペイン語で“爆発”を意味する「ラ・ボンバ」の愛称で親しまれた今井克宗。レギュラーツアー通算2勝を誇り、国内ツアーを盛り上げた男も今年4月に50歳を迎えて、今週の「すまいーだシニアカップ」でシニアデビューを果たす。

 久しぶりの“ツアー会場”では、かつてのツアー仲間、先輩プロに挨拶回り。「練習グリーンに立っただけでも鳥肌立ちましたよ。ほんと、ここを目標にしてきたから楽しみです」と“ルーキー”らしく目を輝かせる。しかし、ここに来るまでの道のりは決して平たんではなかった。

 ラ・ボンバは経歴からして珍しい。千葉県千葉市で父親がゴルフ工房を営み、幼少期からゴルフと接する機会はあったが、中学時代はバレーボール部、高校時代はラグビー部、大学時代はテニスサークルに籍を置いていた。しかし、21歳で大学を中退してプロゴルファーになるためにゴルフ場で研修生となった。プロテストには3度失敗して、米国でミニツアーを転戦するなど腕を磨いたが、帰国後もプロテストには受からなかった。

 タイミングよく国内男子ツアーがQT制度を導入し、プロテストに合格していなくてもツアーに出場できるチャンスが生まれた。今井は27歳になった99年のQTで42位に入り、2000年の出場権を手に入れると同時にプロ転向。00年は21試合に出場して、賞金ランキング70位で初シードを獲得。プロテスト合格者以外での初めてのシード選手として注目を集めた。

 03年の「カシオワールドオープン」で初優勝を遂げるなど賞金ランキング14位。04年の「コカ・コーラ東海クラシック」で2勝目を挙げているが、07年シーズンにシード権を喪失。「腰が痛かったし、ゴルフが苦しいし。もう限界でしたから」。08年以降、シード復帰を目指したが叶わず、14年にクラブを置いた。

「プロゴルファーって自分の回りにもいっぱいいるけど、ゴルフ場で働いたり、レッスンしたり、いろんな仕事があってツアーだけ出ている人の方が少ない。自分もプロゴルファーとしてツアー以外の仕事をやっています」。現在は、複数のインドアレンジを経営する会社の役員となり、自身の経験をいかしてインストラクターの指導やレッスンの研修、新規店舗の立ち上げなどに携わる仕事をしている。「ゴルフの昼間の酒とか、夢じゃない。お客さんとワイワイゴルフをやるのが楽しいですよ」。しのぎを削るツアーのゴルフとかけ離れた、たまのエンジョイゴルフが今井の楽しみでもあった。

 転機が訪れたのは2018年9月。47歳の頃に心臓弁膜症を発症。40日間の入院や人工弁膜を入れる手術を行い、「たまたまいい先生に知り合って」と幸いにも元気な体に戻った。

 40日間、ベッドの上での生活が続くと「ゴルフがやりたい。しょっぱいモノが食べたい」この2つの思いが芽生えた。「最初はシニアツアーとは思っていなかったけど、ゴルフをうまくなるという先にシニアがありましたね」。ゴルフをやるためにトレーニングを開始し、久しぶりに練習場にも行くようになった。手術後はドライバーの飛距離は200ヤードに満たない。このままでは戦えない。「そこの場に戻るだけの努力ができなかったらあれだから」。当初は周囲にはシニア挑戦は口にせず、「秘めた思い」で始めて、だんだん火が大きくなりました」。コロナ禍で“自宅待機”の時間もうまく利用して仕上げてきた。

 

かつての「ラ・ボンバ」生活も激変。「以前は夜9時以降が人生だと思っていた」今井が、「お酒は多少飲みますが、今は翌日のことを考えて夜9時には寝てますよ。最近、わんことベッドに行くのが楽しくなっちゃって。50にもなればいろいろ変わるよね(笑)」。

 現在、ドライバーの飛距離は260ヤード以上までに回復。「これなら出てもいいかなって思えるようになりました。毎日やってきたから。そんなこと言って、初日いきなりビリだったら話にならないけど(笑)」とおどけて話す。最近のゴルフのスコアは「う~ん、ヒミツ。明日のお楽しみ」とスコアにも注目したい。

 競技に出るのは8年ぶり。「目標は3日間完走ですよ。俺が心配なのはこの8年、3ラウンド連続で歩いてないの。3日目がもつのか。しかも別の緊張感の中でしょ。一番心配」と本音もポロリ。初日は昨年の賞金王の篠崎紀夫と深堀圭一郎と同組。「注目されちゃうじゃん」と苦笑い。

 8年ぶりのツアーの舞台。「感慨深いよね。楽しめるか分からないけど、楽しみたい。3年前から本当に楽しみにしてきたから」。ゴルフを純粋に楽しむラ・ボンバの姿を見られそうだ。