「第3回PGAティーチングプロゴールドシニア選手権大会」の最終ラウンドが烏山城カントリークラブの本丸・三の丸(6,344ヤード/パー72)で開催され、最終ラウンドは5オーバー7位からスタートした徳永雅洋(70)が74で回り通算7オーバーとして4打差を逆転優勝。優勝賞金15万円と、来年の日本ゴールドシニア選手権出場資格を獲得した。優勝副賞としてミドリ安全より腰部保護ベルト一体型ゴルフパンツMIDORI PF1、さらに阪神交易からブッシュネルプロX3ジョルトが贈られた。
「PGA会員入りしてから20年経ちましたが、こうしてPGAタイトルの大会で優勝ができて本当に嬉しいです」と、徳永はホールアウト後に喜びを伝えた。シニアツアー出場を目標に50歳でPGAティーチングプロ資格を取得。徳永は2006年に第2回ティーチングプロシニア選手権大会で優勝している。シニア競技に参加しながら、ラウンドレッスンでアマチュアへの指導も続け、気付ばこの年まで夢中でゴルフに関わってきた。「ここはティーチングプロの試合。トーナメントプレーヤーの方々には負けるわけにいかない」と心理的なプレッシャーをかけて挑んでいた。
スタート時は首位と4打差。「エージシュートが出ない限り優勝はないかな」と徳永は想定していた。第1ラウンドと比べると、グリーンは硬くスピードも出る手ごわい状況だった。徳永は1番パー5スタートホールでバーディーを先攻。7番をボギーにしたが、9番パー5では5メートルを沈めてバーディー。前半で1つスコアを伸ばした。しかし後半10番をボギー。13番パー4ではグリーンの左サイドに球を落としてしまい、傾斜のある個所から上げられずダブルボギー。14番に入るときに「優勝はないけど、頑張ろう」と自らを鼓舞した。15番はティーショットをバンカーへ入れてしまい、出すだけの状況でボギー。スコアを伸ばせるチャンスがつくれないまま上がり2ホールへ。攻める選択が選べる17番パー5は「いくしかない」とドライバーショットを振り切って、残り190ヤードの位置に運び2オンに成功。残り15メートルのイーグルパットはわずかに外れたが、悔いなく攻めきってバーディーを奪取した。
ホールアウトしてやり切ったという充実感に浸っていたところ、後続の最終組がスコアを伸ばしていないことを知り、最終組の上がりを待った。結果は最終組が自滅したことで、終盤までこらえた徳永が逆転優勝。「ピン位置も難しいし長いコースで、我慢を続けて優勝できたってことですよね。すごく嬉しいです」と喜びを爆発させた。
2020年、烏山城カントリークラブで行われたティーチングプログランドシニア選手権大会で徳永は初日首位タイで回り、最終日も我慢のプレーを強いられながら、優勝争いにしがみついてプレーオフ決戦にもつれ込んだ。2ホール目、先に6メートルのバーディーパットを決められてしまい、徳永はあと少しのところで優勝を逃してしまった。「あの時、相当悔しかったんです。今回こそリベンジを果たすぞと強い気持ちで挑んでいました」と振り返った。「シニアデビューした2003年から振り返って、ゴールドの年齢までゴルフができている。そしてPGA公式戦タイトル、もう日本タイトルを獲れて本当に嬉しいです」。何度も嬉しさをかみしめた。
試合に出場するたびに、大会開催のありがたみをつくづく感じてるという。「ゴルフというスポーツを試合で一生懸命やってみせること。試合で良い姿を見せるために、試合後も練習をきっちりとする。これまで諦めないでやってきたことで、神様がちゃんとご褒美くれるんですね。試合があるからこういう幸せを感じることができます。ありがとうございます」と、しみじみ語った。
一方で徳永はラウンドレッスンにも精を出している。「いつもアマチュアのみなさまにお伝えするのは、力を入れすぎるので、力を抜いて体を回すことが大事だと伝えています。グリッププレッシャーは2割の力でいい。それできちんと振り切ってくださいと言っています。私自身が試合の中で、そのスイングフォームでやっていますから、効果は実証されていますよ」と自信を示す。
「シニアデビューしてからまだ20年。ゴルフは勉強することがたくさんあります。やりたいこともたくさんあります。私は100歳になった時に、自分で賞金も出して、100歳以上のためのトーナメントを開催するのが目標なんです。だって、人生120年時代って言われているんですよ」と徳永は目を輝かせた。
徳永にとってはシニアデビューからまだ20年しか経っていない。徳永が挑戦したいこと、やってみたいことがこの先100歳過ぎてもたくさん待っている。「これから新しいことに向き合うたび、逃げたりするのは良くないですよね。今日の17番ホールみたいにね、思い切って攻めていきたい」。徳永は怯むことなく言葉にする。その傍らではプロ生活をサポートする徳永の奥様が優しく微笑んでいたのだった。