1963年に関東オープンと第1回日本シリーズで優勝を飾り、カナダカップ日本代表にも選出され、64年から3年連続でマスターズに招待されたレジェンドプロゴルファー・石井朝夫(いしい・ともお)氏が、1月24日に老衰のため98歳でご逝去されました。設計された千葉県の成田ハイツリーGCには開場から晩年まで43年間所属し、ゴルフ界に多大なる貢献をいただきました。慎んでお悔やみを申し上げます。
石井朝夫氏
●プロフィール 石井 朝夫(いしい ともお) 生年月日:1923年(大正12年)6月9日 (享年98歳) 入 会:戦前 出身地:静岡県 表 彰:1984年 日本プロスポーツ大賞 功労賞 1997年 文部科学大臣顕彰 2014年 第3回日本プロゴルフ殿堂入り 役員歴:副会長 1983年~1984年、 理事 1971年~1976年、1979年~1984年 主な戦歴:通算30勝 ● レギュラー競技 日本シリーズ(1963) 関東オープン(1963、65) 読売プロ(1953) 中日クラウンズ(1961) ゴールデンマッチ(1967、68) 西日本サーキット長﨑(1969) 長野県オープン(1971) ● シニア競技 日本プロシニア(1977) 関東プロシニア(1973、78、79、80) 日本プログランドシニア(1984、85、86) 関東プログランドシニア(1985、86、88、89) 日本プロゴールドシニア(1991、97) 関東プロゴールドシニア(1991、92、94) 他
<故人プロフィール> 静岡県の川奈出身。同郷のプロゴルファーには石井三兄弟(治作、茂、哲雄)や、石井迪夫が親戚にあたる。1953年の30歳の時に読売プロで初優勝を飾る。63年に関東オープン、日本シリーズに勝ち、同年はワールドカップ日本代表にも選出。ワールドカップには翌64年にも出場している。64年にはフィリピン開催のキャピトルヒルズオープンでアジアサーキット日本人選手初優勝。アジアサーキットでは通算4勝をマーク。また、マスターズには64年から3年連続で招待された。自ら設計を手掛けた千葉県の成田ハイツリーGCには、開場から晩年まで43年間所属していた。 <倉本会長コメント> 石井さんは1964年からマスターズに3年連続で招待されたことでも知られ、日本プロゴルフ界を代表する先駆者でした。ツアー施行前のレギュラー競技でも多くの大会で優勝され、シニア入り後のグランド・ゴールド競技ではグランドスラムを達成しており、長年にわたりトッププレーヤーとして活躍されました。 また、PGAの役員も長く勤められ、協会の発展にもご尽力いただきました。激動の時代にありながらも、ゴルフ界に多大な貢献をされた石井さんのご冥福を心よりお祈りいたします。◇ 「日本プロゴルフ殿堂・メディアページ」では、石井プロ独占インタビューが放送されています。